2015年12月5日土曜日

猫とモスキート

野良猫が会社の入口の植え込みにフンをするから猫よけ対策として、モスキート音なる耳に痛い音がでるマシンを導入。入口に設置した。

モスキート音というの(人間だと若いときにしか聞こえない音らしく、若者の溜まり場にされそうなコンビニ前や地下路地などでも流されているらしい。

わたしは若さでピチピチではないものの若くなくもないような年齢なのだが耳は年老いているらしくこの手の音がまったく聞こえない。
わたしより年齢が上の人でも耳が若い人にはバッチリキーキーと聞こえるらしく時より街を歩いていると近くにいるおっさんとかがいきなり「グエッ」とか言って耳をふさいだりするのでビックリすることがある。

若者にたむろされないようにモスキート音が流されていたのであろうが、耳が老いてるわたしにはそんな事情は知ったこっちゃないわけだから、たとえば自分が生粋のストリート系なりギャルなりで世の中のルールなんて無視が定番のヤンチャ系だったとしたなら平気でそこにたむろしかねない。

もちろんそういう音がたまに流れてるというのはなんとなく噂で知っていたのだが、だいたい皆が噂するそれをわたしは「モスキートーン」だと思って聞いていた。
ファンキーなリズムが昭和育ち世代の首を傾げさせるように、モスキーなトーンが若者を啓発するのだろうと思っていて、ものすごく惜しいかんじはするが、そもそもそこから聞き取れていなかったのだからどうしようもなかった。

さて会社入口に設置したモスキート音が出る機械だがやっぱりわたしにはただの置物にしか感じられず、設置する時も会社の人がキャーキャー言いながら置き場所を決めているのをどこか淋しい気持ちで見ていた。猫は聴覚が人よりも優れているから若かろうが年寄りだろうがちゃんと聞こえてしまいます、といったような事が説明書に書いてあって、世界に取り残されたような気持ちが助長された。

そんな得体の知れないモスキート音の出る機械だがやはり猫もグエッと思うのか植え込みのフンの被害はなくなったようだ。
たしかにいつもかわいいお顔でトコトコ敷地内を駆け回っていたゴキゲンな猫が、この間は明らかに険しい表情をしていた。いかにも嫌そうな、舌打ちでもしてきそうな面で迷惑そうに植え込みをまたぎ、弊社駐車場の隅にドスンと腰をおろして尻尾でイライラ感をアピールしていた。嫌そうにはするけど入りはするんだ、と思った。

残念ながら猫よけとまではいかなかったようで、かわいい猫がかわいくなくなって怖い顔で駐車場に現れるようになり、フンはなし。というまあまあな効果だった。モスキート音の仕事が、わたしの聞き間違えとおなじくらい惜しくて嬉しい。










2015年10月23日金曜日

すみれスメル

わたしは香水が苦手なのだけれど今日、「すみれの香りですよ」と言われて香水のしみこんだ紙を渡された。すみれの香りならいいかな、と思って嗅いだらトイレの芳香剤のにおいがして悔しかった。

むかし、酒の席にて冗談のつもりで「すみれを摘みにいってきます」といってトイレに行き、ふつうに手ぶらで席に戻って同席していた先輩に「すみれは?」と指摘されてしまったことがあった。正直そこまで考えてなくて「すみれは全部トイレに忘れました」と適当に言い、結局トイレに行ったことを明言してしまったとあとで気付いてとても悔しかったことを思い出した。

2015年10月11日日曜日

キャベツ

近所の、近所だけどあまり行かないエリアを散策していたら、知らぬ間に随分と歩いてきてしまったようで、一面キャベツが植わった畑のまんなかにいた。
10月に入りすっかり日も短くなって、17時すぎだというのにあたりは既に薄暗く、肌寒い。そのひんやりとした薄暗の中に自分が1人立っていて、周りには四方八方キャベツが植わっている。無数のキャベツの隙間隙間におそらく大量に秋の虫がいて、全員が全員羽を震わせ鳴いているようだが、それはつまり静寂である。なんていうところに迷い込んでしまったんだろうと不穏な気持ちになった。

そんなところにひとりでいると気持ちがすごく遠のいていくかんじがする。ここは果たして現代の東京であるのか、それともなにか記憶や瞑想の最果てであるか、わからなくなって怖くなる。だけどそれと同時にどこかこの上なくすばらしいことのようにも思えて、ノスタルジーであったりセンチメンタルであったりの美しい蜜を吸うような気分になる。はやく帰りたいような、別にまだここにいてもいいような気がした。

ほんとうにだれもいない。東京で暮らしていると、外にいてまわりにほんとうにだれもいないことなんてあんまりない。真夜中や早朝であればまだしも、夕刻はみな東京にある数少ない感傷の蜜を吸いにきているのか、誰かしらいる。しかし、いま夕刻であるのに、ほんとうにだれもいない。まわりに植わっているこれらは、キャベツのように見えて全て人の頭かもしれないと思うほど、異様。もしも歩みをとめようものなら、足がするする地面に埋れていくんじゃないかと思った。

それなのに歩みを止めてしまった。なぜならばわたしを追い越す影があって驚いたからだ。足元をトコトコ呑気に通り過ぎていった。ねこかもしれない。わたしはねこ見たさに目をこらし目の前をいくそれを追いかけた。幸いなことに足から植わってしまうこともなく、ねこらしきものもおもむろに足をとめ、しかもぐるりとこちらを振り返った。

そのとき遠くで電車のはしる音がして、それを皮切りにわたしの耳はこの町の生活のざわめきのような音を捉えるようになった。

目の前でたぬきがこちらを振り返っていた。ちょうど街灯に照らされていたぬきはスポットライトを浴びてるようだった。たとえば「すべて幻でした」などといった重大な発表が彼のほうからあり次の瞬間にキャベツ畑もろとも消えていたりするのでは、と覚悟したがそういうこともなく、わたしに提示された重大な事実とはただただ「奴がねこかと思ったのにたぬきだった」ということだけだった。

それから5分ほどあるくと知っている道に出た。夜になっていた。金属製のキャベツをあしらった石碑があり【キャベツの碑】というのを見かけた。金属製のキャベツはなかなか精巧なつくりだった。

東京にもたぬきがいてキャベツ畑がある。捨てたもんじゃないかなと思う。また何かの拍子に行けたらいいな。たぬきはキャベツを荒らさないようにしてほしい。



2015年10月2日金曜日

いたずら

散歩をしているととあるマンションのエントランスの外壁の一部だけに、なにか液体の垂れた跡のような汚れが目立つかんじがして、こういうのは高圧洗浄機みたいなのがあるといいんだけどなあ、なんて勝手に考えていた。
そしてふとその壁面に貼られているちらしのようなものに目が止まる。どうやらそれは注意書きのようで、上部に「警告」と明朝体で書かれその後にこのような文面が載っていた。

「近頃この壁に生卵をなげつけるといった悪質ないたずらが多発しています。このようないたずらを目撃した方は下記までご連絡ください」

そうして白けた怒りと呆れをそのまんま文字にしたかのように冷たく管理センターの電話番号が記載されているのだった。

それが何を意味する悪戯であるのかまったく見当がつかないが、わざわざ生卵をそこに持参して、生卵を直に手に持って、マンションの共有部だなんていう悪意の矛先に響きにくい場所にわざわざ、投げつけたりするのはやっぱり、いろいろ間違っていると思う。投げつけるとき、なにか暴言のひとつでも吐きながら投げるんだろうか、それとも黙ってサッと投げつけササッと立ち去るのだろうか。きになる。

なにはともあれあの壁にはやはり高圧洗浄をしたら良いと思うが、勝手にケルヒャーをもちこんで勝手に高圧洗浄をしたら、それはそれで怒られそうなのでそのままにしておく。

しばらくしたらまた前を通ってみようとおもう。

2015年9月28日月曜日

月光に似た微笑

昨日は、芸能人の人が癌になって亡くなったニュースと、癌の手術をしてこれから抗がん剤治療をはじめることになる、というニュースを起き抜けにきいて、なんだかがっくりきてしまった。
亡くなった女優さんは、抗がん剤治療をしないで、民間療法を選んだらしい。女優さんだから、髪が抜けるのとかを許せなかったのだろう。癌の治療で重要視すべきなのは、進行度や状況に沿いつつも生活の質(QOLというらしい)をなるたけ守り、その人らしく生き抜くことだと私はおもうから、この人のやり方は、すごくかっこよく、素敵だとおもった。
これから抗がん剤治療にはいるタレントさん、絶対に負けないでほしい。昨日と今日、何回も何回も、この人の闘病生活にはいる旨のブログをよんで、涙がでそうになって、でもこの人は絶対大丈夫と思った。ちゃんと、数え切れないほどの幸せを、ご家族やまわりのみんなと共有できるはずだと。わたしもすごい勝手に、めちゃくちゃ応援している。

先月、わたしの母は、癌で亡くなった。末期の肺癌で、脳転移があったから、はじめはもって半年と言われいた。でも、主治医の先生方のお力と、母の類稀なる生命力で、半年なんて余裕の4年半いきた。4年半のあいだ、辛いこともかなしいことも、色んなことがあったけれど、今思えば幻のような、幸福な時間であったように思う。母がそばにいて、母と支え合って、母が懸命にいきて、できる限りの楽しいことをした。楽しい話をたくさんした。美味しいものをたくさんたべた。中学生の頃とかは私が逆にひねくれててできなかった喧嘩とかも、きっとわたしの一生分はした。母が闘病を諦めそうになったとき、生きて欲しかったから喧嘩を売った。お互いの気持ちを正直に伝えることができて、よかった。

もちろん後悔していることも、こっちこそ死にそうなくらいある。もっといろんなところに連れていってあげたかった。あのときあんなひどいこと言わなければ良かった。あのお店のあれ、食べさせてあげたかった。最後の数週間、身体も動かず、食事もできずで、とても辛かったと思う。挙げればきりがないくらい後悔してる。

でも、半年って言われてたのを、4年半も頑張ったのだから。一緒に桜をみるの、もう最後かなとか言いながら、3回くらい見たから。最後に入院したときは、もういきてるとしんでるの間にいて、せん妄でわけのわからんことばっかり言ってたけど、言っている内容としては基本的にずっと、先生も呆れるくらい陽気なことだった。この場に及んでお茶目かよ、と何回もつっこみたくなった。わたしの明るくてかわいいお母さん。お母さんはかなり頑張ってねばってくれたし、頑張って、頑張りすぎたよ。

母が亡くなったとき、ほんとうはもっと、ショックで立ち直れなくなるくらい、かなしくなるだろうと予想してたんだけど、思ったよりもわたしは、明らかに、けろっとしていた。わたしよりも父のほうが、何倍もつらいだろうから、あまり、父の前で落ち込むわけにもいかなかったし、むしろ、お葬式にきてくれた母の友達とかが、とっても悲しそうにしてるのを見て、とてもとても心配だった。友達いきなり死んだら、すごくショックだと思う。それなのにその人たちは、わたしたち家族の前でぽろぽろ涙をこぼしながら「今はお辛いでしょうけど…」とわたしたちの心配をしてくれて、やさしかった。でも、わたしは大丈夫です、母はがんばりましたから、わたしもがんばりますと言ってまわって、それは本心からそういったのだけれど、こんなに大丈夫でいいのかしら、わたしは、お母さんが死んで、もしかして安心してるのかしらと、苦しかった。

もちろん、辛い治療を終えて、やっと楽になれたね、というのはあった。お母さんはこれでもう自由になって、お母さんはこれからどこにでも行ける。ベッドをはなれてすきなところへ行ったり来たりする母を想像すると、とても頼もしく、嬉しい気持ちになる。別に母が死んで安心してるわけじゃない。お母さんはどこにでも行けるし、きっとわたしのそばにいる。都合がいいかもしれないけど、ものすごくあたりまえのようにそう思えて、そのことが励みになっている。それが、すべての事実であるからだと思う。

はやいものであっというまに、四十九日を迎えた。葬儀のときのお坊さんの話によると、四十九日の法要というのは、もう、ここまできたらむやみやたらに泣くのをやめて、いつもの生活に戻りましょう、という意味もあるらしかった。ああいう法要というのは、亡くなった人のとむらいのためというのはもちろんだけど、残された人のこころの整理のために、あるんだろうなあとすごく思う。

わたしは、四十九日のあいだにあんまり泣いたりしなかった。まだ実感がわかないのかもしれない。四十九日までは、魂はそのへんにいるらしいし、骨もまだ家にあるから。

もしかしたら、わたしの場合は四十九日の法要と納骨が終わって落ち着いてはじめて、めちゃくちゃ悲しくなったりするのかもしれない。なんだか、まるで泣く暇もなかったしぜんぜんへっちゃらだったみたいなことを書いたけど、よくよく思い返してみれば、こんなにも寂しい日々が、これまでの人生にあったかしらと思う。母娘であるいている人をみると、正直うらやましくてたまらなくなる。頭で考えたり、言葉で表すのが追いつかないくらい、めちゃくちゃにいろいろな感情がこみあげてくる。それを、無理やり言い表そうとすると、やっぱりめちゃくちゃに、涙がでてくる。

四十九日をむかえて、きっとこれからまた、かなしくなることはたくさんあるんだろうけど、よい節目なので、わたしの中の悲しいめちゃくちゃを、めちゃくちゃのまま、記しておこうとおもいました。母の闘病のくわしいこと(なんの薬がどうだったとか。こういう前例的な参考を得るのはほんとうに、誰かのネットの記録が頼りだった)は、またもう少ししたらきちんと残そうとおもうけど、まずは自分が49日分、進まねばならぬので。でもそしたりまったく心に底がなくて、よくわからなくなってきてしまった。

これを読んでいる人はたぶん、せいぜい5人くらい?かぞえられないからわからないけど、いきなり悲しい話をおっぱじめてしまって、すまないとおもってる。

でも、これはお願いなんだけれども、みなさんも家族の思い出をなるべくたくさん作るようにしてください。それぞれいろんな事情があるとおもうから、くれぐれも親を大切にしろよとは言わない。もちろん大切にした方が良いにきまっているけれど、大切にするやりかたを考えてるうちに、時間はどんどん過ぎて行く。だから何はともあれ少しでも家族に会うなり、連絡するなりして、くだらない思い出でいいから、ひとつでも多く増やしてください。

何はともあれ、癌は、ほんとうにわけのわからない、恐ろしい病気です。なんの気まぐれかと思う位、気がついたら身体を蝕んでいる。最初にかいたタレントさんもそうだし、母もそうだったけど、一回のちょっとした検査ではほとんどあてになりません。初期状態で見つけられたらラッキーくらいのもので。検査でバレないくらいさりげなく、そこに潜んでいて、いきなりガンガンきたり、するものみたい。

じゃあどうすりゃいいんだよっていうのが正直なところだけど、これは今後の再生医療の発展と、検査技術の向上を願うばかりです。こうしてる今も世界ではあたらしいがん治療薬の開発がどんどん行われているみたいで、本当に宜しく頼みたい。日本の新薬認可のシステムも、もっとスピーディーになったらいいなと思う。いろんながん治療薬があるけど、効く効かないは本当に患者さんによってそれぞれのようだから、少しでも副作用が少なく且つ効くかもしれない薬がどこかに存在してるならそれを試したいと思う人がいるのは当然なはずだし。とにかく、癌のせいで苦しみながら生きなくてはならない人がいなくなるといいなとおもう。



今日は、十五夜ということで、すすきと団子をかって、お月見をした。ひかる満月が見えて、嬉しかった。
わたしは、これまでそんなに満月でテンションあがることがなかった、というか、満月の日に今日は満月だなあと思うのと同様に、三日月でも今日は三日月だなあと思うし、そこまで満月に特別感を見出したことはなかったんだけど、母は、わりと満月に特別感を見出すタイプの人間で、十五夜の時とか特に気合を入れてすすきとか買ってたから、今回はそれにならってみた。じっくり味わってみると案外満月って良くて、母もよろこんでいる気もするし、今後は極力、月に注目していきたいと思った。

2015年9月27日日曜日

まだ傾いている

風邪をぶりかえして、さむけと、関節のきしむような音が、ほねをくすぐる。うたた寝のゆめのなかで、あかいダリアを1本手にもって、海にいって、寒くてだれもいなくて、すぐ帰った。くろい海しろい波、しろい空、しろい砂浜、あかい花。なんというなかみの無い、シンプルに恐ろしい夢かしらと、目覚めてすぐ考えた。おかしいなあこんな夢。納得がいかない。たまに、こうやって現実の生活が、夢に引きずりこまれてしまう。
夢と現実の境目なんて、かなり曖昧なものだと思う。ぼんやりとしているというよりは、扉からはみでているシーツのはしっこをひっぱったり、ひっぱられたりするみたいなもので、油断をしてたら、シーツごともっていかれる気がしている。ほんとうに、きをつけた方が良い。

まったく関係ないが、最近は寝起き唐突にゲロルシュタイナーという無味無臭の炭酸水をのむ、というのにはまっている。よくわからないがいくぶんすっきり目覚められるような気がするのだ。たぶんこれは、ファンタとかコーラとかの楽しい炭酸じゃ駄目で、この、ゲロルシュタイナーという鬱陶しい名称の、なんの味気もへったくれもないただの炭酸水だからこそ得られる効果であると思っている。

今日は体調不良のためアクエリアスだが、はやく直してゲロルシュタイナー起きをしたい。

2015年9月26日土曜日

今日は休みだったけど、しとしと降る秋雨。ひとつひとつの雨粒が地面にそっと触れるたび、しみったれた匂いをふっとたてて、それがまとめて部屋に入ってくる。

こういう雨の日にはコーヒーがよく合う。これはなにも私に限ったことではなくて、古くから広く言われていたことだと思う。「呑んだ後にラーメンたべる」みたいな、だいたいの人がベストマッチだと思ってることだよね。

その「合う」っていうのがなんのことか、なんだかんだ言ってもただのカッコつけかもしれないし、単に風がつめたいからささやかな暖がほしいだけかもしれないけど、イメージでいったら、しみったれた雨の空気をコーヒーのかおりで中和させるようなイメージが、いちばんしっくりくる。

今日は、日がな1日そうやって部屋の中を中和させようとしていて、あっという間に真夜中で、布団に入ってはみたものの、ねむれない。

まだ少し雨音がして、部屋のなかがまたどんどん、しみったれた空気で満たされていく気がする。もう一杯コーヒーをのんだら、今度こそ眠ろうとおもう。おさけじゃないだけ、まあいいよね。

2015年9月18日金曜日

気味について

書いたものを『小気味良い文体』とほめていただき大変に嬉しかったのだけれどもそのときふと、「〈小気味良い〉の反対ってもしかして〈薄気味悪い〉?!」ということを急に考えてしまいしまいには口に出してしまい「いや反対ではないだろう、あなた自体はどちらかといえば薄気味悪いよ」と言われてしまい結局かなりへこんだ。

2015年9月9日水曜日

秋情

どういう風に笑って、どういう調子で怒って、どういう顔でなにかを頑張るのが丁度よいのか、未だにわからない。そして、そういうことをいつまでも考えて意識してしまうから、永遠にわからないままなのだろう。残念ながら、近頃はよりいっそう、わからなくなってきたのだから。

夏が去っていくのを、わたしはふたつの目で、じっと見つめていたはずだった。
映画よりも、文学よりも、いまのわたしにはそういうことのほうが100倍大切で、酸素と同じくらい大切で、一瞬でも目をはなそうものなら、すべて失ってしまいかねない。

だから、ただただじっと、前をおよぐ魚の尾ひれをつかもうとするように、じっと見つめていたのだけれど、気がつけばなぜか、いつのまに、あなたの尾ひれはひるがえっていて。

そして空は高く日差しは時がとまったような色、おおらかな風、雲がながれ秋桜が揺れている。

わたし、どんな顔をしていれば良いのやら。

だれかに「泣いてもいいんだよ、」とか言われれば、泣ける。たぶん。
でも、それでいいのかわかんないし、結局、「はい、」とか「いやいや、」とか、そういうような返事しかできない気もする。かといって、笑っても、微笑んでも爆笑しても、嘘。

なにもわからない、とおくの虚無をみつめるような目をして、季節をやり過ごす。












2015年8月5日水曜日

ひとの顔の輪郭がなんだかものすごくやわな曲線におもえてくる

花がそれぞれの花びらのかたちを形成するのにはわけが有るようだけど、ひとの顔の輪郭にはわけなどない

膨らめば膨らんでいく
痩ければ痩けていく
ふにふにといつの間にやら変容し、ひとのかたちを保っている

肉体と精神がともにあることのありがたみ
奇跡のようなありがたみ

頬にふれればあたたかい
奇跡のようなありがたみ




2015年7月21日火曜日

さびしい男

ふとんに入ると途端に寂しくなるのはなぜだろう。ふとんの外では寂しさとは無縁、孤独を愛する男なのに、なぜだかふとんに入ったら、寂しさでぎゅっと縮こまってしまう。となりにだれか寝ていて欲しい、そのだれかを抱きしめたい、いやどちらかといえば抱きつきたい、そしてあなたも抱きしめてほしい。とかまあそういう気持ちで肋骨の内側の空間を掻き乱しながら、無理矢理目をつむって、寂しさをうめるための空想をめぐらせ、いつのまに眠りについたり余計に虚しくなったりする。そういう夜を四半世紀続けてきたんだよ俺は。

2015年7月19日日曜日

アドベンチャー




最近は天然素材っぽいのがすきでシェルや半貴石などの素材を買ってきて身につけている。探検先で手に入れた、みたいなアドベンチャー感を出していきたく、もうそのへんで石とか砂とかひろってきて加工しようかなと思い始めている。

石といえば幼い頃、香水瓶みたいな形のプラスチックの容器に付属の石ころと水を入れ、蓋をしてシャカシャカふると石ころがキラキラした宝石にかわる、っていう夢のようなおもちゃを持ってた。今、またあれが欲しいんだけど、まだ売ってるのかな。
しかし、いまこうして思い返してみても石ころが宝石にかわる、というのはどういうことなのか。石を入れると中にもともと入っていた宝石にすり替わる、とかそういう手品的なトリックのあるものではなかったし、正直魔法としか思えないような状況で気付いたら宝石になっているのだった。本当にどうなっているの、もはや本当にそんなおもちゃ持ってたんだっけ、とか思えてくる。クリスマスプレゼントで親に買ってもらったように記憶しているのだが、両親に聞いてもまったく覚えていないようで、そんなものあるわけないじゃん、とすら言う。あれは幻かしら。幻じゃないといいな。記憶の旅は冒険のよう。

2015年7月12日日曜日

舌打ち

くよくよしていても無駄だし、
くよくよするのをやめて走り出しても、調子がいいのは最初のほうだけで、また悪い種は飛散する。
それでまた、くよくよしても無駄、って思って走るんだけど、ふと振り返ればそこには走ってきた軌跡があるだけ。悪い種はどんどん芽吹いていき、いつまでも私を追いかけて、わたしはそれから逃れるために走る。悪い種はさらにふりそそぎ、わたしはくよくよし、悪い芽についた棘にさされ、ボロボロになり、くよくよしていても無駄だ、とまた走り出して……いつまでもそれを繰り返す。

くよくよしてもしなくても無駄だなっていう、最高にポジティブな話です。

2015年7月5日日曜日

きょう行きたかった博多うどんのお店は「本日分のダシがなくなった」ということではやめに閉店していて、それなら、と向かった定食屋は「麻雀大会出場のため店休」とのことだった。「店休」という言葉はあまり聞きなれなくてよくわからないがとりあえず休みなのだろう。
仕方なくコンビニに行くとおにぎりの棚がすっからかんだった。
ちょっとランチタイムを逃したくらいでこんな仕打ちにあうかしらと悪態をつきながらなにも食べませんでした。元気がでない。

2015年7月2日木曜日

ばった

おととい庭で出会ったショウリョウバッタをこころのなかに住まわせる。


きれいな緑で、ちりめんじゃこより小さいのに高く高くよく跳ねて、それがかわいくて、ほんとうは何かに入れて飼おうかとおもった。けど、それがどれほど無意味なことであるか、すぐに気付いてやめた。かわいさをただ監視するためだけに、逃げられないようにしてむりやり自分のそばに置いておきたいなんてことを、「飼いたい」なんてとぼけた言葉にして一瞬でも考えたことが、とてもかなしい。バッタ自身がどれだけ跳ねてもどこにも行けないって気付いてしまったら、かわいそうなことに、二度と飛び跳ねたくなくなってしまうかもしれないのに。バッタの跳ねたい高さを奪おうなんてことを、どうしてわたしは。


大人になるにつれて、どんどん冷たい人間になってしまった気がする。自分の持ち合わせているやさしさについて考えると、いつも、あたたかさをあきらめたようなものしか見当たらない。


でも、わたしがまだちいさい子供だったら、バッタ、捕まえていたとはおもう。そしてわたしは幸せなきもちで満たされ、そんなわたしをよそに、バッタは密かに意気消沈しただろう。


そう考えるといまのわたしのほうが、若干やさしい気がする。でも、そのやさしさは決して本当のやさしさではなく、一瞬のたくらみを確かに含んでいたわけで、決して純粋ではなく、ぱちもののやさしさのようにも思える。


そういうわけでバッタをつかまえなかったので、ただただバッタのすがたを思い浮かべて、うまいこと、こころのなかにバッタを住まわせたわけで。バッタはとびはねる。いっぴきにひきと増えてゆき、ちいさいバッタはそこそこ大きくなる。草かなにかを食べる。そしてとびはねる。微かな着地音、軽やかな軌道、あざやかなグリーン、美しく、静かな躍動。どこまでもどこまでも高くとびはねて、夏がおわるころ、どこにもいなくなってしまう。バッタも、きっと、やさしくなかろう。

2015年6月20日土曜日

キウイのこと

夏ばてが怖いので、風呂上がりにアイスをたべるのを我慢して、どうしてものときは、かわりにキウイをたべるようにしている。

冷蔵庫でよく冷やしたのを半分に切って、スプーンですくって食べると、作業感覚としてはアイスとだいたい同じである。たとえばカップのバニラアイスなどを食べるとき、あまりしっかり持つと体温でアイスが溶けてしまう上、手も冷たくなりすぎるため、誰もが多少力を加減してカップを持つことと思う。この力加減というのはキウイの柔らかい皮を破らないように持つときと同じくらいの感覚で、そのあたりがとても似ている。

そういえば時より、お洒落なライフスタイルを提案する雑誌やWEB媒体の記事などでキウイの皮をむきとり輪切り、もしくはその半分、にしてフォークでたべるような描写が見受けられるが、これには私は反対している。
キウイは、皮ごと真っ二つ→スプーンですくってたべる。というのが一番良い。
小学校の給食でもキウイはいつも真っ二つだった。ただ半分にしたキウイが銀色のおぼんにコトンとのってるのをワッシと掴み、大きいスプーンで皮のギリギリのところまですくって食べた。スプーンのなめらかな金属の苦味とあわさると、キウイはとても甘く尊く感じられる。キウイのよろこびとはまさにこれであると思う。なぜ、輪切りになどするのだろう??

とはいえ、もしもホテルの朝食などで白い大きなお皿に輪切り、もしくはその半分、にカットされたにキウイがずらりと並べてあるなどしたら、わたしはそれなりに喜んで端からフォークでとんとんと刺して大半を食べてしまえる気もする。

あまり意識したことがなかったのでいままでまったく気が付かなかったが、わたしはおそらく小学生の頃くらいからキウイのことを結構すきなのであろう。




2015年6月5日金曜日

足りない脳みそが発光する


人の買い物について行って、ほとんど初の秋葉原電気街。どこかアジアのよその国にある市のような商店街に、私には用途不明のゲジゲジ、ビリビリ、チミチミとしたものが、ちょこまかちょこまか並んでいた。
おそらく、それらは音のためのもの、光のためのもの、などであろうが、知識のない人間の想像力ではそれらとそれらの役割や効果を頭の中で結びつけることができない。
ただ、きっとすばらしい技術をもって作られた、世の中に必要とされる特別なものたちなんだろうね、と他人事のように考える。

ひとつひとつの店をじっくり見るのは少し気が引けたので、早足で商店街を何周もしてチラチラチラチラいろんな店を見た。何気にみたことのあるものや、見たことはないけど形のおもしろいもの、わけがわからなさすぎて逆に魅力的なものが数多く売っている。

私は、その中から『ヒューズカン』と呼ばれる、小さくて細いガラスの筒の中に細い線が厳重に封じ込められているものや、『抵抗』と呼ばれるものの小さくて細くて90円くらいで何をされても決して抵抗など出来なさそうななにか、それから名称はわからないけどどうにかすれば光りそうなもの、何らかのスイッチ、などを勢いに任せて購入した。

うちに帰って、購入した部品たちを机の上に並べてから、夕飯をたべてお風呂に入って戻ってきて、机の上に部品が並んでいることにすこしびっくりする。得体、知れなさすぎて、一通りネットで調べたが、説明もわからなくて。でも、なぜかこの状況というのは、ものすごく特別であるように思える。窓の外は雨で、机には、精巧で無口な用途不明のゲジゲジ、可能性に満ちた、人間の技術の賜物!私は嬉しい気持ちになる。これを枕元にならべてねむるとして、なんかサイバーパンクな夢みるかな、とか。私の脳みそには理系の思想は一切なく、強いて言うなら文系で、文系ってすごく情けない。

ちなみに、わけのわからないなりにいちばん気に入ってるのは『ヒューズカン』というやつで、以前理系の大学にかよっている作家さんがこれと同じのをピアスか何かにしているのをみたことがあった。これいいなあ、薬品か、試験用のネズミかなにかを入れるもののミニチュア的なものかな、と勘違いしていて、まさか電子部品だとは思ってなかったので、こんなところで出会えてなかなか感動した。

せっかく買ったので私も、どうせなら身につけられるものに加工して使おうと思うが、わからないまま使っていて、急に発光したりしないものか、不安。これ、理系の人や詳しい人が見たらさぞかし笑うだろうけど、不安。ばかにされてかまわないので、わかるように教えていただきたいけど、わたしは頭が弱いので、たぶんわからないと思う。女子高生とかが「おじさんカワイイ〜」というのと同じような心理で、私はヒューズ管を身につけよう。発光、しないでくれ。発熱や新しい物質の生成も、たのむからしないでくれ。お願いします。








2015年4月30日木曜日

同じ幻

近頃は日々の記憶があいまいで記録も疎かなので長い日記をここに書いたが機器の電池切れにより全て消失する。

落ち込んだ私は風呂を沸かし半身浴をしながら今度は小説の執筆に取り掛かってみたが風呂で書く小説はだめ。はだかだし、あけすけ。

暖かくなったからか虫が外を飛ぶようになって部屋にも入ってくるようになって今部屋に種類のわからない飛行系の虫がいる。わりと大きく3センチくらい。小説を諦め風呂から出て部屋に戻ったらちょうど飛んでいたその虫に肩がぶつかってしまった。すみません、と私は心の中でつぶやく。

わたしはこういう虫を時より擬人化する。いや、人には限らない。この虫は私の見知る魂が虫に扮して現れたのだと信じてやまない時がある。しかも、あっあの虫はタイミング的にあの人、とか、おっもしかしてあの子?!とか感覚的にわかるのだ。それがまた絶妙な時々具合で思わないときは全くもって思わないのでその点信憑性が高いはず。ちなみによく来るのは亡くなった祖母である。もちろん存命の者、そもそも命とかじゃない場合もある。知らない者が来ることはない。知らなかったらわからない。そしてひとつ言えるのは相手は私が既に失ってしまったなにか、もう二度と会うことのできない存在だということ。

この話を人にするとオカルト的だとか気味が悪くない?とか言われるが特に気味は悪くない。ただ写真を撮ったり具体的にこの虫が誰だとか人に言うのはあまり気が進まない。今日の虫の正体も伏せておく。要は個人情報、プライバシーというやつ。祖母については……実は母も同じことを言うので敢えて記載する。祖母はいつも美しく華奢な虫の姿で現れる。まあ誰もがゾッとするようなおぞましい虫の姿で現れた者はいないが。祖母はさりげないお洒落が好みだった。それが感じ取れるような姿。

虫は天井に、私は布団の中にいて、言葉は交わさない。ただ同じ空間にいて、夜が更けて、明日か明後日には何処かへ飛んでいってしまう。

こんな寂しいことってある?

この話はそういうお話だ。見つめても見つめても同じ。わたしは元気にやっています。変わったことがたくさんあって、お話したいからまだしばらく、同じ幻見れますか、とか、いつでも飛んでいなくなれるであろう虫に尋ねるのだ。というか虫って心とか耳とかあるの?もはや自分にあるかすらわからないけど。

私は考えるのをやめて眠る。虫も多分ねむろうとしている。おやすみなさい(おやすみなさい)























2015年4月25日土曜日

風化する

桜の花びらが窓からはらりと飛び込んでくる音とか雨がアスファルトを打ったときにたちあがる匂いとか公園のあおい草原をはしる風や雲の影とかホームに差す夕陽が金色の粒になって髪を透かすこととかそれらの美しさや情緒もすべていつのまにやら昔みた夢のようになってしまった。あるときふと見返した写真フォルダには似たような空の写真が並んでいてああ無意味、容量足りなくなるからこれら全て消すしかないやと思ったり、そんなことを繰り返してるうちに瞳は純度を失っていった。突如訪れるずきんとするような胸の痛みを回避する方法も身につけたけど埃色の虚しい気流がずっと胸のあたりに停滞するようになった。

短いスカートをひるがえして自転車で駆け回ったあの日の桜、あの日の夕立、あの日流れた雲の影、季節の移り行くエネルギーに敏感で涙だってすぐ溢れた日々の記憶にわたしは想いを馳せました。あれは思い出だからあんなふうに美しいの? そういうわけではないと思うんだけど。ずっとああやって情緒を糧に飛び回る風のようでありたかった。今、大人になって得た何を失えばあの日の感覚に戻れるのかしら。そういうことを考える。多分、そういう問題じゃないのは分かっているのだけれど。

(「秒速5センチメートル」というアニメを見ました。)




2015年4月14日火曜日

神経

雨の中買い物に行ったらパン屋さんも八百屋さんも「雨の日のおまけ」をしてくれた。
ある商店の店頭に掲げられたホワイトボードには大きく傘のマークが描かれており、その下に
『今日の名言:ばかばかしいとわかっていてばかばかしいことをしているならばかばかしくない』
といったようなことが書かれていた。

買い物の後母親の病院までバスで向かう。
混み合ったバスだったが乗り合わせた他の客はばらばらと先に降りていってしまってじきにわたしは1人になった。雨粒がたくさんついた窓から外を眺めているとエンジンが止まった。長い信号待ちでアイドリング・ストップを実施したようだった。バスひとつぶんの静寂の中なんとなく意識を遠くへ投げようとして、いざ振りかぶったくらいのところでなにかガサガサガサ コロコロという音が車内に聞こえ渡りハッとした。運転手のアナウンス・マイクのスイッチがオンのままだったようで、運転手は飴をたべているらしかった。
飴を食べるのは良いけどライブ中継は困るなあ、なんて思っているとゴソッという音と同時に運転手がくるりとこちらを振り返った。
わたしは驚いたが動じなかった。客が何人いるか確認したのだろうと思って、わたし1人きりですまないと思った。再びエンジンがかけられ、バスが動き出すとマイクの音も気にならなくなったので、わたしは再び窓の外へ目をやった。

そのときであった。運転手が何か喋りだした。アナウンスではない。
「いやぁさっきのお客さんは残念でしたね、気の毒だったけどあそことあそこの間ってバス停ないから」
まったく話がわからなかった。無線で誰かと話しているのかと思って何も言わなかったがよくよく考えたら無線でさっきのお客さんとかどことどこの間とかタクシーじゃあるまいし、もしかしたらわたしに話しかけているのかもしれなかった。
しかしわたしですらそのさっきのお客さんのくだりを知らなかったので、返答のしようがないまましばし時間が経ってしまい、もうどうしようもなくなった。
以後わたしはどうするべきだったのかしらと考える以外のことは出来ず、やもすると先程運転手が振り返った際に定年退職後病気が発覚し闘病の末亡くなった先輩運転手の霊かなにかがいて、戸惑い少し気まずくなった挙句の業務寄りな雑談だったのかもしれない、などと妙なことを考えてみる。そうすると先程飴を食っていたのは?とかさらにおかしな方向へ思考が巡ってしまってその間やっぱり黙りこくることしか出来ず、結果的にシカトしてしまった。

そうこうしているうちに降りる駅が近づいてきてわたしは降車ボタンを押した。短いブザーの音が鳴り止むと運転手はハキハキとした口調で普通の車内アナウンスを行うのであった。なんの違和感かはもう分からないが居てもたってもいられなくなり駅につく少し前の時点でわたしは席を立った。そんなわたしを目視するや運転手は極めて業務的な口調で着くまで席を立たぬよう注意してくるのであった。

ばかばかしいことは、もちろんばかばかしいとわたしは思うのだけれど、あの運転手と雨のせいで神経の乱れがひどく、ずっと頭が痛い。

2015年4月13日月曜日

『ぽぽぽぽぽぽ』


冷蔵庫の中にひび割れた生卵があってずっと気になっていたのでそれを食べようと思った。なんでも良かったのだけれど思うことあってただ茹でることにした。

お湯を沸かすあいだひび割れた部分をよく見てみたがあんなに静かな亀裂がこの世に他にあるかしらと思った。明らかなる亀裂、いまにも崩れてしまいそうなのに卵はまっしろな静寂を保っている。じっと見つめれば見つめる程ああ1秒後に静寂を破られそう、くちばしが飛び出してきそう、どうしようとか諸々の不安を駆り立ててくるくせにいつまでもやさしい丸みのまっしろのまま。どれくらい見ていただろうかいつのまに湯の方がばくばくと湧いていた。

ゆで卵って案外作る機会がなくて正直あんまりルールがわからない。
このあいだたまたま彼の家で作ろうとしたとき同じようにひびの入った卵があったので使ってしまおうとしたところ、彼が「それはだめ」と言った。なぜかと聞くと「ぽぽぽぽぽぽってなっちゃうから」ということだった。その口ぶりは都市伝説でも語るかのようだったのですぐにひび入り卵を取り下げて他の卵の表面をくまなくチェックし、最もぽぽぽぽの危険性のないものを使った。
おかげさまでちょうど良い塩梅のゆで卵が完成したので良かったのだが、あとからよく考えてみるといっそあの時そのぽぽぽぽぽぽを起こしてみたかったとも思った。

そういうわけなので今日は敢えてひびのはいった卵を静かに鍋へ投入したまでだ。それから7分間鍋を見つめていたのだが本当にぽぽぽぽぽぽとなってしまってすぐに卵がどうなってるんだかよくわからなくなってしまった。白いメレンゲのようなものがずっと水面に湧き続けてぐるぐる回っていた。火を止めてすぐにそのメレンゲ状のものをつまみ出して食べた。みずっぽい卵の味がする。結構な量だった。あの卵は全部このぽぽぽぽになってしまったのね、残念、なんか勿体無いから試すんじゃなかった。と一瞬思ったが、殻や黄身が無くなるはずはないと思い直す。よく見ると鍋のなかに奇形の卵が沈んでいた。
ちょうどひびの割れていたところから、白身がサボテンの子株のようにぽこっと飛び出している。あれだけぽぽぽぽとしてしまったのに、白身はまだけっこう残っていたみたいだった。殻をむいてもぐちゃぐちゃにはならなくて、ただ丸みの狂ったゆでたまごが完成していた。例えるならシャボン玉が繋がって出てきちゃったときのような形である。丸くなくはならないんだと思った。その辻褄の合わせ方が奇妙で仕方がなく、あの日の彼の都市伝説を語るような口ぶりを思い出して共感した。

妙形のゆでたまごは塩を振ってビールを飲みながら食した。なにか珍しいものをつまみにしているようで気分が良かった。
写真を撮れば良かったがあのような奇妙な被写体をデータとして残しておいてあとで見たときにどう思うか心配になり撮らなかった。


ちなみにぽぽぽぽぽぽといえば、荻原裕幸という人の短歌に『恋人と棲むよろこびもかなしみも ぽぽぽぽぽぽとしか思はれず』というのがある。わたしはこの歌がとても好きなのだけれど、実際には恋人と棲んだことがないので本当にわたしが「ぽぽぽぽぽぽ」となるかどうかはまだ確かめていない。でもきっとわたしが恋人と棲むことになったらきっとよろこびもかなしみも「ぽぽぽぽぽぽ」になる気がしている。その「ぽぽぽぽぽぽ」がどういうきぶんなのかもまだ想像の域を出ないが、卵のぽぽぽぽぽぽというのと似てるんじゃないかな、と思う。






2015年3月21日土曜日

人間と世界

どんなに人に引かれたりすきな人にふられたり友達に嫌われたり育ててくれた親をギョッとさせたり社会になじめなかったりチョットあの人はアレと俗世間から線引きされたりしようとも自分の世界を持つことが最も幸福でそれこそが精神の自由であるんだよ、と今はとにかく自分に言い聞かせる。大切なのは自分の世界を守りつつ俗世間ともうまくやっていけるようになんとか折り合いをつける技術を身につけることだ、ということも。わたしは誰かに「頭がおかしい」とか「変わってる」とか言われるのが怖くて世界を売り、滅ぼし、まともでフラットな人間であろうとしたことで身を滅ぼした。わたしを一度殺して新たなるわたしになろうとしたはずなのだけれど、結局はいちど殺したわたしの恨みがあたらしいわたしに取り憑き続ける結果となり、結果何者でもない輪郭だけの人間となってしまった。個性だ個性だと言って没個性にはまりながらもなにか特別な自分を信じ続けるような人をわたしは軽蔑するけれども、一方でそのようにして自らの世界を守り、ズレのようなものさえ許し、俗世に馴染んでいく姿勢には羨ましさというか嫉妬というかちょっとした尊敬のようなものも覚える。
自分は自分の世界と俗世の両方を恨み両方を手本としながら、どっちつかずのまま正体を失ったわけだから、とにかくいまはなんでもない。かわいくもなければ面白くもない。いくら可愛いふりをしてもほんとうはたいした可愛げもないしメチャクチャな女だし、かといってそのメチャクチャさはいまやもみ消してしまったわけだからその点面白みもない。ただの人は当たり障りなくだれからも好かれるようでいて、結局は輪郭しかない表面的な物体であるからつまらなくて愛されないと思う。
わたしはなにかを取り戻さねばならない。精神の自由。人間的な愛らしさ。
ほんとうに頭のおかしい人なんていくらでもいるんだから、狂うことに臆せず、また、ほんとうに平凡な人間などいないのだから、人間らしさを憎むことのないよう、愛や怒りや悲しみを卑屈にならずに表すやり方を覚えないといけない。人間やるのって難しい。人間にうまれたはずなのに。


2015年2月27日金曜日

雑記227

休みで天気も良いけれどあんまり体調良くないし、家にいる。

午前中から里芋を煮た。里芋ってちょっと高いし皮を剥くのが面倒だから嫌なんだけどここのところずっと里芋を煮たのが食べたくて。しかも食べたいあまりにネットで「里芋 煮っころがし」とかで画像検索してたら、両手でタオルを絞るようにして里芋をにぎっている人の手元の写真と、握られた拍子にズルっと、内面と外見がずれるようにして皮の剥けてしまった里芋の写真が並んででてきて、そのままページに飛んだらどうやら切れ目を入れてレンジにかけるとそうなるらしく。すごく楽しそうだったから昨晩雨の中スーパーに行って買ってきた。

実際にやってみたらまあネットで見た写真程ではないけれどズルっとよく剥ける。でもある程度熱が通っちゃってるから既にねばりがすごくて、皮が剥がれた拍子に本体はつるっと手から離れ、鍋に飛び込んだ。やる気のある里芋。やる気がありすぎてすぐに煮えた。とても簡単になったけどやはり煮はじめから熱が通ってると煮崩れる。

すぐ煮えてしまって暇になったので昼から酒を飲む。喉の調子が悪いから蜂蜜をいれたホットワインを一杯だけ。身体が温まって、風邪が悪くなったらどうしようとかいう不安も忘れて、ちゃんと休めそう。

蜂蜜はバカみたいなプーさんの容器のやつを買いました。味はまあふつうだけど見テクレが面白い。仕事の合間に買ってかばんに入れたまま仕事をしてたんだけどかばんに入ってるのがおかしくて仕方なかった。それで写真を撮ったんだけど写真をみるとそこまで面白くもなくて、多分あのくらいからあんまり調子良くなかったのかな、と思う。



ちなみに少し使ったら顔面蒼白みたいになってしまった。



里芋の写真は食べてしまったからない。ホットワインは調子が良いので、しばらくはビールをやめてこちらにする。冬が終わり、春が爛漫になる頃まで。



2015年2月24日火曜日

ゾッと

おかしなことだとは思うのだが、最近、味噌汁をつまみにビールを飲むのにはまっている。右手にビール、左手に味噌汁の椀を持ち、交互に飲むのである。考えれば考えるほど意味がわからないと自分でも思うが、やめられない。ビールの苦味と味噌の塩気、そのバランスもさることながら、交互に飲むことで「つめたい、あったかい、つめたい、あったかい」となるのが良いのだと思う。
うちには幽霊がいるのだけれど、今日も今日とて現れて、今日も今日とて味噌汁をつまみにビールを飲んでいるわたしを見るなり「うわ、またやってる」と言ってきた。わたしはゾッとした。

2015年2月15日日曜日

ストライク人間

人間としてくらす一生のうち一度くらいは、違う生き物になってみたいなあとおもう。一番の理想としては猫、或いは花、または男でも良い。そのほかの何かでも、べつにかまわない。違うなにかになった時、それまでの自分のような人間のことをどんな風におもうか、とか、元のとおり人間に戻ったときに、それまでと同じわたしでいられるのかどうかとか、そういうのを知りたい。それから、ほんのひとときでよいので、本当の自分を探したり、見つめたりするという行為、内省のすべてをやめにしたい。

きょう、渋谷をあるいていたら、以前一緒に働いていた人を見かけて、その人をとりまく環境こそ変わったみたいなんだけど、そのひとはそのひとで、ずっと変わらぬそのひとだった。わたしもまるっきり同じで、仕事とか、髪型とか服装とか、付き合ってる人間とか、まるっきり変わったけど、結局わたしでしかなくて、なんだかとても泣き出したくなった。

変わりたい、変わりたいと思って、いろいろなコミュニティをかけまわって、いろいろなことをして、もちろん、その経験が役に立って、いまの自分をいきる上で糧となっている部分は大いにあるのだけれど、
本質的なところで、わたしってずっとわたしで、どこへ行っても、だれと過ごしても、どんな化粧をして、どんな髪型や服装をしても、かわらない。体についてるもん取ったって変わらないとおもうし、たとえば狂ったりしたら、逆に我に正直になるんじゃないかとさえおもう。外国とかいって、自分さがしの旅とかもししても、到底、灯台下暗しくらいの結論しかでなさそう。うんざりする。

わたしはたぶん、失礼なほど他人に興味がないし、自分ではなにが自分らしさか具体的にはわかってないけれど、いちばん興味があるのは自分が何者で、何者として生きていけるかということなんだろうなと、非情にも思うので、わたしがわたしでしかないという結論は、サイコーに最高でサイコーに絶望的だ。

人間、きっと一生成長しない。成長したとして、それは小手先のもので、わたしはずっとわたし、何者でもなく、日々の暮らしにこびりつく影のような、おまえ。10代のころ、人間のくせしてまわりの人間と馴染めずにいたとき、「はやく人間になりたい」とかほざいていたおまえ。あんなになりたかった人間らしくやっとなったのに、人間なんかもうさっさとやめちまいたいと思ってるじゃないか。かわりたいね、あたらしい自分になりたいね、そういっていくらもがいても、人間は、そんなに単純なつくりをしていないのだ。

あした、目が覚めて奇跡的に猫になってたら、上記のような話をして、死ぬほどひっかいてやろうと思う。


2015年2月1日日曜日

髪、そろそろ結って眠るようにしなければ。わたしの重みと枕の繊維の間でこすれていつか薄いビニルテープのように裂けてしまうようになる。何年か前に髪の長かった頃はまさにそのようになってしまって哀しくて苛立って勿体無いけれど短く切り落としてしまった。ほんとうに非道いことをしたけれど髪はまた伸びてきてくれた。

来週か再来週あたり美容院に毛並みを整えに行こうと思う。いつも担当して下さる美容師のお姉さんは春に美容師の仕事を辞めて外国へ行くという。いつかどうして美容師になったのか尋ねたとき、大人になるずっとずっと前から自分は美容師になるんだなとただ思っていて、自分の髪も友達の髪も自ら切っていたしそのまま当たり前のように美容師になった、だからどうしてということはないと話してくださった。

わたしは人生を道に例えるのってイメージ的にあんまりしっくりこなくて、じゃあ何かと言われると銀河のようなところでボルダリングするイメージで、星々のなかから足場を常に選択し彷徨い続けて行くような感じが人生なんじゃないかなと思ってる。だからなのかあんまりこう「まっすぐな人生」や「まっすぐな人生を送る人間」の存在を信じられないのだけど、道に例えようが銀河に例えようが結果的にまっすぐ進んでいるひとがやはり現実に存在する。
そういう人たちもわたしがするのと同じようにいくつもの選択をしているのだろうが、そのひとつひとつがわたしよりもずっと的確で迷いがないのだろうなと思う。
いつもあの星にいくべきかこの星に来るべきでなかったかとフラフラしているわたしには、迷いなくまっすぐ進んでいく人が放つ青黒く美しい長い髪のようなしなやかな閃光がまぶしくて仕方ない。










2015年1月18日日曜日

ネネ

もう25歳だけれども「学生さんですか」と聞かれた。嘘だけれども「はいそうです」と答えたら「大人っぽいですね」と言われた。
わたしったら年々こどもっぽくなっているような気がする。このあいだふと、ねむることをネンネと言ってみた。とても心地よい気がしたけれど全く眠れなかった要するにわたしは大人なのだけれど、大人の世界が憎いのだ。


2015年1月17日土曜日

話をきいてやってもいいよ

知らないねこを一度だけ撫でたらすりすりすりすり甘えてきてこのままではいずれわたしたち絡まってしまいそうと思いその場を去ろうとしたのだがねこはどこまでもどこまでも追いかけてきた。そのうちただ後ろをついてくるのではなくわたしの行こうとする方向に先回りしては振り返りニャー、またすこし先へ行ってはニャーと何かしらの主張をしてくるのだった。わたしは半年ほどうちに居候して突然いなくなったねこの事を思い出して寂しくなり目の前にいるねこのもとに座り込み頭を撫でネエあなたわたしのねこのこと知っている?と尋ねた。ねこはわたしの目をしばらくじっと見つめたあとわたしの膝に前足2本をのせ膝に添えていた私の左手をペチペチとやさしく肉球で叩いた後ゴニョゴニョいいながら何処かへ歩いて行った。しばらく追いかけたがねこは一度もふりかえることなく草むらにまぎれ誰かの家の塀を登りわからないところに行ってしまった。励ましてくれたのだろうか。つれない人間ですまないと思った。