2015年4月13日月曜日

『ぽぽぽぽぽぽ』


冷蔵庫の中にひび割れた生卵があってずっと気になっていたのでそれを食べようと思った。なんでも良かったのだけれど思うことあってただ茹でることにした。

お湯を沸かすあいだひび割れた部分をよく見てみたがあんなに静かな亀裂がこの世に他にあるかしらと思った。明らかなる亀裂、いまにも崩れてしまいそうなのに卵はまっしろな静寂を保っている。じっと見つめれば見つめる程ああ1秒後に静寂を破られそう、くちばしが飛び出してきそう、どうしようとか諸々の不安を駆り立ててくるくせにいつまでもやさしい丸みのまっしろのまま。どれくらい見ていただろうかいつのまに湯の方がばくばくと湧いていた。

ゆで卵って案外作る機会がなくて正直あんまりルールがわからない。
このあいだたまたま彼の家で作ろうとしたとき同じようにひびの入った卵があったので使ってしまおうとしたところ、彼が「それはだめ」と言った。なぜかと聞くと「ぽぽぽぽぽぽってなっちゃうから」ということだった。その口ぶりは都市伝説でも語るかのようだったのですぐにひび入り卵を取り下げて他の卵の表面をくまなくチェックし、最もぽぽぽぽの危険性のないものを使った。
おかげさまでちょうど良い塩梅のゆで卵が完成したので良かったのだが、あとからよく考えてみるといっそあの時そのぽぽぽぽぽぽを起こしてみたかったとも思った。

そういうわけなので今日は敢えてひびのはいった卵を静かに鍋へ投入したまでだ。それから7分間鍋を見つめていたのだが本当にぽぽぽぽぽぽとなってしまってすぐに卵がどうなってるんだかよくわからなくなってしまった。白いメレンゲのようなものがずっと水面に湧き続けてぐるぐる回っていた。火を止めてすぐにそのメレンゲ状のものをつまみ出して食べた。みずっぽい卵の味がする。結構な量だった。あの卵は全部このぽぽぽぽになってしまったのね、残念、なんか勿体無いから試すんじゃなかった。と一瞬思ったが、殻や黄身が無くなるはずはないと思い直す。よく見ると鍋のなかに奇形の卵が沈んでいた。
ちょうどひびの割れていたところから、白身がサボテンの子株のようにぽこっと飛び出している。あれだけぽぽぽぽとしてしまったのに、白身はまだけっこう残っていたみたいだった。殻をむいてもぐちゃぐちゃにはならなくて、ただ丸みの狂ったゆでたまごが完成していた。例えるならシャボン玉が繋がって出てきちゃったときのような形である。丸くなくはならないんだと思った。その辻褄の合わせ方が奇妙で仕方がなく、あの日の彼の都市伝説を語るような口ぶりを思い出して共感した。

妙形のゆでたまごは塩を振ってビールを飲みながら食した。なにか珍しいものをつまみにしているようで気分が良かった。
写真を撮れば良かったがあのような奇妙な被写体をデータとして残しておいてあとで見たときにどう思うか心配になり撮らなかった。


ちなみにぽぽぽぽぽぽといえば、荻原裕幸という人の短歌に『恋人と棲むよろこびもかなしみも ぽぽぽぽぽぽとしか思はれず』というのがある。わたしはこの歌がとても好きなのだけれど、実際には恋人と棲んだことがないので本当にわたしが「ぽぽぽぽぽぽ」となるかどうかはまだ確かめていない。でもきっとわたしが恋人と棲むことになったらきっとよろこびもかなしみも「ぽぽぽぽぽぽ」になる気がしている。その「ぽぽぽぽぽぽ」がどういうきぶんなのかもまだ想像の域を出ないが、卵のぽぽぽぽぽぽというのと似てるんじゃないかな、と思う。






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