2015年9月9日水曜日

秋情

どういう風に笑って、どういう調子で怒って、どういう顔でなにかを頑張るのが丁度よいのか、未だにわからない。そして、そういうことをいつまでも考えて意識してしまうから、永遠にわからないままなのだろう。残念ながら、近頃はよりいっそう、わからなくなってきたのだから。

夏が去っていくのを、わたしはふたつの目で、じっと見つめていたはずだった。
映画よりも、文学よりも、いまのわたしにはそういうことのほうが100倍大切で、酸素と同じくらい大切で、一瞬でも目をはなそうものなら、すべて失ってしまいかねない。

だから、ただただじっと、前をおよぐ魚の尾ひれをつかもうとするように、じっと見つめていたのだけれど、気がつけばなぜか、いつのまに、あなたの尾ひれはひるがえっていて。

そして空は高く日差しは時がとまったような色、おおらかな風、雲がながれ秋桜が揺れている。

わたし、どんな顔をしていれば良いのやら。

だれかに「泣いてもいいんだよ、」とか言われれば、泣ける。たぶん。
でも、それでいいのかわかんないし、結局、「はい、」とか「いやいや、」とか、そういうような返事しかできない気もする。かといって、笑っても、微笑んでも爆笑しても、嘘。

なにもわからない、とおくの虚無をみつめるような目をして、季節をやり過ごす。












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