2015年9月28日月曜日

月光に似た微笑

昨日は、芸能人の人が癌になって亡くなったニュースと、癌の手術をしてこれから抗がん剤治療をはじめることになる、というニュースを起き抜けにきいて、なんだかがっくりきてしまった。
亡くなった女優さんは、抗がん剤治療をしないで、民間療法を選んだらしい。女優さんだから、髪が抜けるのとかを許せなかったのだろう。癌の治療で重要視すべきなのは、進行度や状況に沿いつつも生活の質(QOLというらしい)をなるたけ守り、その人らしく生き抜くことだと私はおもうから、この人のやり方は、すごくかっこよく、素敵だとおもった。
これから抗がん剤治療にはいるタレントさん、絶対に負けないでほしい。昨日と今日、何回も何回も、この人の闘病生活にはいる旨のブログをよんで、涙がでそうになって、でもこの人は絶対大丈夫と思った。ちゃんと、数え切れないほどの幸せを、ご家族やまわりのみんなと共有できるはずだと。わたしもすごい勝手に、めちゃくちゃ応援している。

先月、わたしの母は、癌で亡くなった。末期の肺癌で、脳転移があったから、はじめはもって半年と言われいた。でも、主治医の先生方のお力と、母の類稀なる生命力で、半年なんて余裕の4年半いきた。4年半のあいだ、辛いこともかなしいことも、色んなことがあったけれど、今思えば幻のような、幸福な時間であったように思う。母がそばにいて、母と支え合って、母が懸命にいきて、できる限りの楽しいことをした。楽しい話をたくさんした。美味しいものをたくさんたべた。中学生の頃とかは私が逆にひねくれててできなかった喧嘩とかも、きっとわたしの一生分はした。母が闘病を諦めそうになったとき、生きて欲しかったから喧嘩を売った。お互いの気持ちを正直に伝えることができて、よかった。

もちろん後悔していることも、こっちこそ死にそうなくらいある。もっといろんなところに連れていってあげたかった。あのときあんなひどいこと言わなければ良かった。あのお店のあれ、食べさせてあげたかった。最後の数週間、身体も動かず、食事もできずで、とても辛かったと思う。挙げればきりがないくらい後悔してる。

でも、半年って言われてたのを、4年半も頑張ったのだから。一緒に桜をみるの、もう最後かなとか言いながら、3回くらい見たから。最後に入院したときは、もういきてるとしんでるの間にいて、せん妄でわけのわからんことばっかり言ってたけど、言っている内容としては基本的にずっと、先生も呆れるくらい陽気なことだった。この場に及んでお茶目かよ、と何回もつっこみたくなった。わたしの明るくてかわいいお母さん。お母さんはかなり頑張ってねばってくれたし、頑張って、頑張りすぎたよ。

母が亡くなったとき、ほんとうはもっと、ショックで立ち直れなくなるくらい、かなしくなるだろうと予想してたんだけど、思ったよりもわたしは、明らかに、けろっとしていた。わたしよりも父のほうが、何倍もつらいだろうから、あまり、父の前で落ち込むわけにもいかなかったし、むしろ、お葬式にきてくれた母の友達とかが、とっても悲しそうにしてるのを見て、とてもとても心配だった。友達いきなり死んだら、すごくショックだと思う。それなのにその人たちは、わたしたち家族の前でぽろぽろ涙をこぼしながら「今はお辛いでしょうけど…」とわたしたちの心配をしてくれて、やさしかった。でも、わたしは大丈夫です、母はがんばりましたから、わたしもがんばりますと言ってまわって、それは本心からそういったのだけれど、こんなに大丈夫でいいのかしら、わたしは、お母さんが死んで、もしかして安心してるのかしらと、苦しかった。

もちろん、辛い治療を終えて、やっと楽になれたね、というのはあった。お母さんはこれでもう自由になって、お母さんはこれからどこにでも行ける。ベッドをはなれてすきなところへ行ったり来たりする母を想像すると、とても頼もしく、嬉しい気持ちになる。別に母が死んで安心してるわけじゃない。お母さんはどこにでも行けるし、きっとわたしのそばにいる。都合がいいかもしれないけど、ものすごくあたりまえのようにそう思えて、そのことが励みになっている。それが、すべての事実であるからだと思う。

はやいものであっというまに、四十九日を迎えた。葬儀のときのお坊さんの話によると、四十九日の法要というのは、もう、ここまできたらむやみやたらに泣くのをやめて、いつもの生活に戻りましょう、という意味もあるらしかった。ああいう法要というのは、亡くなった人のとむらいのためというのはもちろんだけど、残された人のこころの整理のために、あるんだろうなあとすごく思う。

わたしは、四十九日のあいだにあんまり泣いたりしなかった。まだ実感がわかないのかもしれない。四十九日までは、魂はそのへんにいるらしいし、骨もまだ家にあるから。

もしかしたら、わたしの場合は四十九日の法要と納骨が終わって落ち着いてはじめて、めちゃくちゃ悲しくなったりするのかもしれない。なんだか、まるで泣く暇もなかったしぜんぜんへっちゃらだったみたいなことを書いたけど、よくよく思い返してみれば、こんなにも寂しい日々が、これまでの人生にあったかしらと思う。母娘であるいている人をみると、正直うらやましくてたまらなくなる。頭で考えたり、言葉で表すのが追いつかないくらい、めちゃくちゃにいろいろな感情がこみあげてくる。それを、無理やり言い表そうとすると、やっぱりめちゃくちゃに、涙がでてくる。

四十九日をむかえて、きっとこれからまた、かなしくなることはたくさんあるんだろうけど、よい節目なので、わたしの中の悲しいめちゃくちゃを、めちゃくちゃのまま、記しておこうとおもいました。母の闘病のくわしいこと(なんの薬がどうだったとか。こういう前例的な参考を得るのはほんとうに、誰かのネットの記録が頼りだった)は、またもう少ししたらきちんと残そうとおもうけど、まずは自分が49日分、進まねばならぬので。でもそしたりまったく心に底がなくて、よくわからなくなってきてしまった。

これを読んでいる人はたぶん、せいぜい5人くらい?かぞえられないからわからないけど、いきなり悲しい話をおっぱじめてしまって、すまないとおもってる。

でも、これはお願いなんだけれども、みなさんも家族の思い出をなるべくたくさん作るようにしてください。それぞれいろんな事情があるとおもうから、くれぐれも親を大切にしろよとは言わない。もちろん大切にした方が良いにきまっているけれど、大切にするやりかたを考えてるうちに、時間はどんどん過ぎて行く。だから何はともあれ少しでも家族に会うなり、連絡するなりして、くだらない思い出でいいから、ひとつでも多く増やしてください。

何はともあれ、癌は、ほんとうにわけのわからない、恐ろしい病気です。なんの気まぐれかと思う位、気がついたら身体を蝕んでいる。最初にかいたタレントさんもそうだし、母もそうだったけど、一回のちょっとした検査ではほとんどあてになりません。初期状態で見つけられたらラッキーくらいのもので。検査でバレないくらいさりげなく、そこに潜んでいて、いきなりガンガンきたり、するものみたい。

じゃあどうすりゃいいんだよっていうのが正直なところだけど、これは今後の再生医療の発展と、検査技術の向上を願うばかりです。こうしてる今も世界ではあたらしいがん治療薬の開発がどんどん行われているみたいで、本当に宜しく頼みたい。日本の新薬認可のシステムも、もっとスピーディーになったらいいなと思う。いろんながん治療薬があるけど、効く効かないは本当に患者さんによってそれぞれのようだから、少しでも副作用が少なく且つ効くかもしれない薬がどこかに存在してるならそれを試したいと思う人がいるのは当然なはずだし。とにかく、癌のせいで苦しみながら生きなくてはならない人がいなくなるといいなとおもう。



今日は、十五夜ということで、すすきと団子をかって、お月見をした。ひかる満月が見えて、嬉しかった。
わたしは、これまでそんなに満月でテンションあがることがなかった、というか、満月の日に今日は満月だなあと思うのと同様に、三日月でも今日は三日月だなあと思うし、そこまで満月に特別感を見出したことはなかったんだけど、母は、わりと満月に特別感を見出すタイプの人間で、十五夜の時とか特に気合を入れてすすきとか買ってたから、今回はそれにならってみた。じっくり味わってみると案外満月って良くて、母もよろこんでいる気もするし、今後は極力、月に注目していきたいと思った。

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