2017年12月27日水曜日

12/8〜12/10

十二月八日

ふと思い立ってブランケットとスヌードを自作した。あと、適当な巾着袋をいくつか自作したいんだけどちょっともうめんどくさい。





十二月九日

吉祥寺シアターに、ホナガヨウコ企画×さよならポニーテール『ななめライン急行』を観に行く。どうにも空回っていたり、うだつがあがらない感じだったり、人のことをちゃんと信じられなくてうまくいかなかったりする「ななめ」なひとたちが、いつの間にやら乗っている急行列車のおはなし。ポスターには「ふりつけされたえんげき」とあり、全編コンテンポラリーダンスで進行する。

舞台もダンスも普段あまり観ないのだけれど、身体表現のエネルギッシュさに圧倒されてオープニングから涙がでそうになる。なにかを表すために人間の骨や筋肉がぐねぐねと動かされ、表皮、表情も迷うことなくそれについていく。走ったり、跳んだり、寝転がったり、叫んだり、眼を大きく見開いてぎゅっと瞑ったり、眉や口角もねぐねと。それでなにかを伝えるために。

子供の時から喜怒哀楽をあまり表に出せない人間だったから、演劇をやっている人のエネルギッシュにうごく肉体がすごく羨ましい。人間であることを出し惜しまずに、余すところなく表に出している。私もあんなふうになりたいと思って、演劇部に入ったり学芸会で主役になってみたりしたこともあった。現実では無理でも、舞台の上でなら私もそれをやっていいことになると思って。肉体で表すこと。最初は気持ちよくできたけど、結局劇の練習のあとどんな顔で教室に戻ればいいかだんだんわからなくなってきて、やっぱり自分はそんなこと思いっきりできる側の人間ではないのかもしれないと思って辞めてしまった。そのかわり毎日日記をつけるようになって、言いたいことや感情や表したいことは文字で発散できる、と思うようになった。それから長いことずっと、書くことでなんとか気が済んでいるけど、例えばそれもつらいとき、本来文字にするよりも先にもっと密接に感情と結びついているはずの肉体(とくに表情に出すことや声に出すこと)がぎこちなくしか動かせないのはやっぱりすごくもどかしい。

 

上記のような理由で、私もたぶん「ななめ」な人だし、「ななめライン急行」に長いこと、それはもう何駅も何駅も乗っている気がする。どこかで降りないといけないけど、どうしたらいいのかずっとわからなかった。今日背中を押してもらえた気がする。観ているそばから身体がうずうずした。




十二月十日

アップルパイ。アップルパイを焼きたい。あみあみのやつ。カスタードもつくる。焼きあがったら、あついうちにバニラアイスを乗せてたべる。あればキャラメルソースもかけた方がいい。でも、キャラメルソース持ってない。



2017年12月23日土曜日

12/3〜12/7

十二月三日

月に吠えたら月びびってた。




十二月四日

最近朝起きると喉がガラガラに乾燥していて苦しいので、桶にお湯を張ったものをそばに置いて眠った。今朝起きて見たらその水面でハエトリグモが死んでいた。クモもさむくてお湯に浸かろうとしたのかな。お湯があたたかいことを知っていたのかな。死んで浮いているクモをどうしたらいいかわからずに、とりあえず桶ごと洗面所に持って行って中の水を空けていたら突然クモが復活して、泳いでるんだかもがいてるんだか足をごにゃごにゃと動かすので、手で掬ってつかまえてみた、ら、すぐにピョン、と跳ねてどこかへ行った。







十二月五日

セリアで買ったニットメーカーでスヌードを作ろうと思ったけど、たのしいので編みすぎて長すぎになってしまって嫌になってしまった。




十二月六日

寒いと鬱屈としてしまう。考えることの全てがかなしい終わりと結びついてしまう。


十二月七日

たまにものすごく調子のいい日があって、家事も仕事もサクサク、気持ちもポジティブで、これから毎日このかんじでいこう!とウキウキするんだけど、だいたい翌日とんでもなく具合が悪くなったりひどく落ち込んだりする。それがわかってきてしまったから、最近では調子のいい時も翌日の自分を不安に思いつつノリノリで生活するかんじになってしまった。そんなことしてるうちにいつか調子のいい日が来なくなってしまいそう。


2017年12月21日木曜日

11/29〜12/2

十一月二十九日

弟がいきなり「部屋で寝てる時に幽霊出たことある?」と聞いてきて、「寝てる時は寝てるのでわからない……」と答えた。寝てるときにおもいっきり幽霊出てたら若干申し訳ないな。





十一月三十日

花園神社の酉の市。三の酉。熊手を買わずに狐の面を買った。二千円。

見世物小屋も出ており「たのしいカッパ天国」というのぼりがはためいていた。カッパにとっての天国は人間にとっては地獄寄りなんじゃないかなあ。わからないけど入ってみたらカッパ、踊りまくっていた。十分に一回出て来ては踊る踊る踊り狂う。あれ祭のあいだ一日中踊ってるんじゃなかろうか。カッパにとってもそこそこ地獄。







十二月一日

ねこは、ごはんを食べたらぺろぺろして寝る。若いねこは、ぺろぺろして大暴れしてから寝る。






十二月二日

原宿や渋谷をひたすら歩いた。私も一緒にいた友達も東京生まれ東京育ちで、他にも共通点が多く、しまいには声も似てると言われた。大人になってからできた友達の多くは東京以外に故郷があり、東京生まれ東京育ちの人は珍しい。故郷のある人の東京への眼差しは美しく、ありがたくて大好きだけど、東京出身者の満たされた、飽和した、行き場のない、どこか虚しげな気配も大好きだ。あのひとたちがここに来て必死で埋めている部分を、埋めるための道具をわたしたちは初めから持っていない。けど、なにかしらの手段で埋めなきゃいけない、埋めなきゃいけない、埋めなきゃいけない。










11/25〜28

十一月二十五日

池袋パルコミュージアムにアンリアレイジの展覧会を観に行く。パリコレ以降の軌跡。正直パリコレ以降のコレクションは、動画やルックを見た限り「フラッシュで光る服」とか「影がしばらく残る服」「力が加わると発光する服」とかどんどん新素材大喜利みたいになっていってる気がしていたのだけれど、実物を見たらそんなこと思ったのが恥ずかしくなるくらいとても美しい服たちだった。決して特殊な素材ありきの製作ではなく、まず言葉、テーマからはじまっていて、そのテーマは服が衣服として在ることを超えて何ができるか、ひとつの問いに落とし込まれていく。そしてここではじめて必要となるのが例の新しく珍しい素材たちで、それらは問いの解法として求められ、生み出され、用いられて答えになっていく。素材の珍しさやインパクトがすべてではないことが、実物の服を見ればわかる。「影」がテーマの服の影は記憶に染み付いた美しい木陰のように、「光」がテーマの服に宿された光はやっと見つけた希望のような姿だった。


パリコレブランドになって、一気に遠く高いところに行ってしまったような気がしていたけれど、決してそうではなかった。アンリアレイジが生まれるきっかけになったある一日から想いもたくらみもずっと変わらず進むことを続けて、そうして今いるところがパリなんだなと思った。これからもたのしみ。












十一月二十六日

サイゼリアでとなりに座った家族連れ。おかあさん「あんたたちなににするの?」少年「おれミトコンドリアー!!」少年の弟「おれもー!!」おかあさん「ミラノ風でしょ、なんだっけミトコン、って」おとうさん「魚だよ。おまえらピザたべる?」という会話で、わたしの頼んだサラダの小エビが全員隣のテーブルを見た。





十一月二十七日

100均で吹き矢のおもちゃを買う親子。少年「でもちょっとこれ長くてめんどくさいなぁ」少年のおとうさん「吹き矢はそういうもんなんだよ」少年「でも長いと、さりげなくしてもバレるじゃん」おとうさん「もしかして、近距離戦を想定してる?」





十一月二十八日

サイゼリアに行った帰り道マフラーからサイゼリアのにおいがする、気がする。