ヨガ教室。ヨガ教室にいくつもりということを書くとなんだかとたんに恥ずかしくなる。ヨガをしている自分、をあらゆる意味でひとに見られたくないし、想像されるのもかなりつらいからだ。
ただ私の精神の歪みは結局こういうところに現れていると自覚しはじめ情けなくなってきたので敢えて明記した。
というのも私の精神の歪みとは結局できるかぎり歪みのない、クセがなくて人間らしさのない、目立ちやしないけど埋もれているわけでもない、極めてフラットな状態でいなければと思い込んでいるところにあるなと思う。
たとえば食事をものすごくおいしそうに食べるとか、流行りのものに飛びついてはしゃぐとか、そういう人間味あふれることをするのがものすごく恥ずかしい。だからヨガもはずかしい。意識高そうな感じがして恥ずかしい。
なんなら最近は、こうしてネット上などで感情を吐露することすら恥ずかしくなってきた。そのせいで最近は、文体が堅苦しい感じになってしまって、もはやそれも恥ずかしい。別に、こんなものはやってもやらなくてもいいし、どんなふうに使ったって間違いでは無いはずなのに。なぜか、恥ずかしい。感情や意識が周りに知れるのが、どういうわけだか恥ずかしいのだ。
今日の整体でも散々だった。すごく痛いのに、痛いと言ったり唸ったりせず、黙っていた。痛みから意識を紛らわせられるように、先生が雑談を持ちかけてくれたが、それにも必要以上に淡々と答えた。先生がそれを「ものすごく不思議」と言って、あっ、と思った。薄々気付いてはいたが、これは不自然なんだなあ、と。
とはいえ、それが自分の歪みなのだからと言って今後感情を全開にしていくつもりかといったらそんなつもりはなく、人間らしさを恥ずかしいと思わないくらいまで不自然じゃなくなりたい。
とりあえず整体にきちんと通い身体の歪みを改善してスタイルよくみえるようになって流行りの服とかを着てウキウキ歩いちゃうくらいになりたい。
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