2014年12月15日月曜日

猫の不在

夏のはじまるころに突如現れ仲良くしていた猫が幻のようにいなくなってしまった。

これまで猫にしっかりと触れたことなどほとんどなく、おなかの毛がせなかの毛よりも長いことも、長いひげや耳がアンテナのように動くことも、鼻先があんなにぬれていてつめたいことさえもあの子と出会ってはじめて知った。
そんななにもわかっていない私のところに彼はいつもうれしそうにトントンとやってきて膝の上や肩にのったり鼻にキスをしたりフガフガいいながらくっついてきたりする。一緒にふとんに入って眠っているといつのまにか彼だけ起きて私の髪の毛を手でとかしてくれたりもした。
彼は基本的にはだいたい黙っていてたまに何らかの頼みがあるときにだけにゃーんとかオアーとか言って鳴いた。人間の私にはなにが楽しいんだかわからないようなことを永遠に続けている事もしばしばあって、彼がいったい何を考えてるんだかほとんど分からなかったが、友好的で可愛らしい彼のことを私は油断すれば涙が出てきそうなほど愛おしく感じた。彼と仲良くなって3日目くらいにはわたしはそのことに気づいていたので彼のことを愛之助くんと名付けたのだけれど、それだと長いしどこぞの歌舞伎役者さんと被っているので「クロ」とか「にゃにゃ」とか「こね」とか「こにゃ」とか呼んだ。いつも返事は無かったが、なめらかな曲線を描くあたたかい毛のかたまりがすぐそばでなにかしていると言うだけでとても幸せな気分だ。

それがいきなりいなくなった。楽しそうに外へ出かけたっきりもう3日も帰ってこない。
朝と昼と夜、外を歩き回ってさがしたがどこにもいない。あいつはベランダや庭に転がって日向ぼっこをするのが好きでその姿がほんとうにかわいいので、もうすっかり窓の外をちらりと見るのが癖になってしまったのだけれど、いまは見たってなにもいない。それでも私は外を見るが、空虚な冬の庭にあの子はいないのだ。つまらない庭。冷たい庭。きのう一度ちらっと外を見たとき庭の芝のところであいつが横たわっているようなきがしてハッとなったのだが、よくみたら似たような色のとび石だった。胸がどきどきして一瞬時間がとまったようになって、そのあとたくさん泣いてしまった。部屋に戻っても悲しみがおさまらないので、久しぶりにギターを出して少しだけひいた。これもあいつが登っていたずらするんでしまっておいたのだ。一度登って倒してしまった拍子にガシャーンと音がなったもんだから、あいつはびっくりしてすっ飛んできて、面白かったのでケラケラ笑ったらすごくしょんぼりしてしまって、ゴメンねって言って励ますとそろそろギターに近づいていってお尻をぷりぷりしながら飛びついていた。さすがに叱ったがすごく納得のいかなそうな顔をしていて、申し訳なかったけどとても可愛かった。
(ああいうのを理不尽に思ってどっかいっちゃったのかな)そういうことも思う。そうやって結局あいつの事ばかり考えちゃってギターの練習もいやになって、ギターをひざの上にのせたまま固いなあとか冷たいなあとか考えた。ギター職人さんがよっぽどこだわりぬいたであろうボディの曲線も、ねこのなめらかな曲線を一度味わってしまうともうちっとも信じられないのだ。ねこと同じようにガシャーンとやってみようか、そうでもしたい気分、いやでもそんなことしたらそのまままたたくさん泣いてしまいそうで、ギターをそっと壁にたてかけてそのまま眠った。こねと同じ黒トラの柄の、微妙にちがうたくさんの猫がうちにくる夢をみた。

これからもう一生あの子のいない、張り合いのない人生を送ることになるのか。正直あの子のほかにもわたしには大切な人間がたくさんいるけれど、ねこの不在はどうもとてつもなく堪えるのだ。
せめて、たのしくお出掛けしてくれているのならば良いが、このつめたい夜に、どこかで震えていたり、おなかが空いて鳴いていたりしているのならばとてもじゃないけどいたたまれない。ねこどこへ行ってしまったのだろう。じゅうたんにきみのヒゲがいっぽんおちていたから、幻じゃないのはわかっている。わたし、猫のヒゲいっぽんをにぎりしめて、声をあげてわんわん泣いてしまうなことが、人生のうちに起こるなんて思ってもみなかった。



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