2017年3月30日木曜日

3/26

雨が冷たい。雪が降ればいいのに。

同じバスに乗り合わせたおばさまが抱えていた、すこしだけほどけたチューリップのつぼみに水滴がついていた。冷たそうだったけど綺麗だった。花びらは、水をよくはじく。




3/27

独特なセンス、独特な感性、独特な雰囲気、独特な世界観。これらは賛辞であるらしいが、この独特なセンスや、感性や、雰囲気や、世界観なるものをもってして生まれたモノはその独特さが故に共感性が薄い……気がする。おまえわけわかんないこと考えてるよね、よくわかんないけど、そういうのいいよね、って。

いやそんなはずはないと信じたい。世の中には色々な人が居て、独特さにも色々あって、わたしたちは独りにならないように、己の独特さをぶつけあいながらわかってくれる人を探している。伝え方を工夫する。





3/28

話題のアニメ『けものフレンズ』をまとめて見る。この番組が始まってから、いい大人がバカみたいに「すごーーい!」「きみは〇〇のフレンズなんだね!」ばっかり言ってるのをよく見かけたのでふざけたアニメだと思っていたが、いろんな動物(聞いたことはあるけどよく知らない、ちょっと珍しいやつ)がたくさん出てきて楽しかった。例の台詞は思ったより出てこない。みてる人同士が盛り上がるための、パワーワード的なものか。中学生くらいのときから、そういうので盛り上がるのがちょっと苦手。よそ者には回収できない伏線、みたいな。まぁじぶんも勢いで使ってみたりするんだけど。





3/29

『けものフレンズ』全11話だと思っていて、昨日、最終話まで見たと思ってたんだけど、12話があったみたい。衝撃的すぎるラストだったから見終わったあとしばらく豆鉄砲喰らった鳩のような顔が崩せなかったんだけど、続きあるんだ。安心したような、あれでよかったような。





3/30

前ほど街に出なくなったからか年齢かわからないけど最近あまりポケットティッシュを配ってもらえない。














2017年3月26日日曜日

3/22(水)


大阪に行った時、新幹線で読む用に買ったものの初めての大阪にテンション上がりすぎて全然読めてなかった西加奈子さんの「通天閣」を読む。夜、最寄駅ちかくのパスタ屋で。謎の店だが美味しかった。

西荻にぶらさがっている象が新しくなっていた。








3/23(木)


早朝のバスで長野へ。バスタ新宿、はじめて行った。昼前に長野駅についてそこからまたバスで山道を行き、戸隠で蕎麦を食べる。あまり食に関心がない方なので、5時間かけて蕎麦を食べにいくなんて正直信じられないことのだか、5時間かけて来て良かったと思える美味しさだった。それから高く積もった雪やつららを見た。触った。雪の上を歩いた。層になって積もる雪の断面は美味しそう。あと雪が舞うのをたぶんはじめて見た。降ってるんじゃなくて、舞ってる。意思なく降り注いでいるような細かい雪、綺麗だった。東京に大雪が降ったのは4年くらい前のことだろうか。歩きながらあの頃のことを思い出したりとか。

夜は別所温泉に泊まった。平日なので宿泊客も少なく、露天風呂は貸切状態だった。露天風呂でビールを飲んでいいとのことだったので、せっかくだしひとりさみしくビールをのむことにしたが、全然さみしくなかった。最高だった。早寝。





















3/24(金)


少し早起きして朝風呂をする。上田まで行き、上田城跡を見る。もう城自体は残されておらず。記念公園みたいになっていて、観光客も地元の人もそこでのんびり過ごしている。ぶらぶらしていたら、後ろから地元の高校生と思しき青年たちが「どーする? とりあえずアリオ行く?」とか言いながら自転車でワーッと来る。春休みの部活帰りかなぁなんて思っていたら彼らのうちの1人が私たちを追い越す際に一瞬振り返り「こんにちは~!」と爽やかに挨拶して去って行った。びっくりした。


地方都市のショッピングセンターが気になっていたので我々もアリオに行く。地元民にまぎれてフードコートでお昼を食べた。フードコートでデートしてる高校生くらいの人とか、クラスの人に絶対見られるだろうに、あれってちょっと照れくさいけど、誇らしいかんじなんだろうな。

あとゲームコーナーで、モニターを隠して完璧なバチさばきで太鼓の達人をこなす中学生くらいの男の子を見た。まわりに、友達と思しき女子たちが来ても動揺することなく、コンボをキメまくっていた。かっこいい。


19時過ぎのバスで23時ごろ東京着。知らない場所にいくのは楽しいけど、帰ってきて新宿や下北沢の街並みを見るとすごく安心してしまう自分がいる。それが旅の醍醐味なのかもしれないが、少し悔しい。もっと知らないところに行きたい。















3/25(日)


花粉症が、年々じわじわ悪化してきている気がする。アレルギーテストをしたい。でも、昔「花粉症対策のために、まず敵を知る」と意気込んでアレルギーテストを受けた人の話によると、結果が出てスギ花粉アレルギーであることがきちんと明記されている書面を見たその瞬間から花粉症が悪化したらしく、考えものだ。(しかも、ゴキブリアレルギーであることまで判明したらしく、しばらくは粉末状になったゴキブリの死骸が風で飛んでくる夢にうなされたらしい)

じぶんの弱点を無駄にはっきり認めすぎないほうが、勘違いでも強くいられることもあるみたい。アレルギーテストはやめよう。

でもこんなふうに花粉の話を書いているのも実は「花粉のことを意識しすぎることで花粉症は悪化するのなら、花粉のことを考えて花粉のことを書いたらどうなるか」という実験で、実際、今書きながらくしゃみ鼻水がとまらない。

これからは、花粉が鼻腔に入ろうが入らなかろうが特に影響はない、という設定にして暮らそうと思う。


夜、渋谷で飲む。






2017年3月21日火曜日

日記

317日(金)

夕方渋谷で大学の友達に会う。ずっと恋愛や結婚の話で盛り上がりまくっていたのに、「デートで遊園地いくのいいよね」「でもお化け屋敷は絶対いやだ」という話の流れから、霊感の有る無しの話になり、最終的にガチな怪談話をして解散した。




318日(土)

前髪を切りに行くはずが、ダラダラしてしまう。私の前髪は、他の人の3倍くらいのスピードで伸びている気がする。




319日(日)

朝イチの家の用で休みをとっていた。午後は西荻のイベントに行った。ものすごい砂埃だった。砂埃ごしに穂村弘さんとPIPPOさんのトークショーを聞いた。谷川俊太郎さんの言葉の引用で、現代は詩が詩の中に無く、音楽とか、お笑いとか、まったく違うものの中に詩はある、というようなことが話されていた。ああそうか、と思う。

小学校のとき、詩人に憧れていたときがあったが、憧れていたあの頃ですらも、散文詩の在りどころはわからなかった。作っても、誰にも見せることはできなかった。勇気や覚悟が足りなかったのだとおもう。恥ずかしくはないが照れ臭い。詩はたぶん、文芸に寄り添っているだけで、文芸そのものではない。もっと感情的なこと。ポエみ。だとおもうから、それをそのままは照れ臭い。こころが、潔いまるはだかじゃなくて、なんか、薄いすける布だけいちまい纏ってる、みたいな。ポーズする照れ臭さ。全裸より、靴下だけ履いてたほうがエロいよね、みたいな、演出による恥じらい。そういうのを、あっけらかんと公開する勇気はむかしから無い。

だからちがうなにかの形をかりて詩をやる。言い訳をしなければ詩人になれない。短歌をやるのも、57577の型を借りて、なんてキレイゴトみたいに言ってたけど、要は言い訳かもしれない。

本当に勇気がないな、と思う。散文詩を書いてみるか。


イベントでは短歌の方数名とお会いする。

そのあと別の友人に借りていた本を返して、荻窪のtitleに行き、2冊買う。併設のカフェにもお邪魔する。アップルパイ美味しかった。


風呂に二度入っても砂にまみれている気がした。






320日(月)

夕方に仕事が終わったので新宿に寄る。駅前にいつの間にか桜の若い木が植わっていて、満開だった。TOHOシネマズで話題の『ラ・ラ・ランド』を観る。夢と現実と、現実と夢。夢を追うことを謳う歌に「狂気」という言葉が肯定的に出てきたのが良かった。狂気を肯定したい。私はずっとそれができないので。





321日(火)

久々に朝から大粒の雨。現場が近かったので自転車で走り出してしまったが、3分で後悔した。わたしも大概だけど、すごい雨の中、びしょびしょになりながら道の真ん中に座っている番いのハトを見た。怪我でもしてるのかなと思って近付いたら、2匹ともすくっと立ち上がって何事もなかったかのように飛び上がって仲良くどこかへ行ってしまった。大丈夫なのかな。びしょびしょのハトは髪型がワイルドな感じになっている。わたしは気圧のせいか、いろいろ状態がわるい。





2017年3月19日日曜日

pink cream soda


海がピンク色だったら、砂浜じゃなくて、岩場に行って眺めたい。

岩の、脈絡のない輪郭にぶつかって、電波のように立つ波。白い泡。揺れるピンク。昼間っからずっと眺めて、どんどん濃く、金色の煌めきをも帯びるピンクを見たい。

夜になったら泣いてしまうかと思う。そうしたら部屋に帰って、電球をいくつか、灯して、そのまま眠ろう。眠れなければ、電球、ひとつ食べてしまおう。記憶のなかのピンクが、永遠にあかるく照らされるように。



2017年3月15日水曜日

46820315

テイクアウトしたコーヒーのカップの底からタバコの匂いがする気がするのは何の呪いだろう。今日は食事をとる良いタイミングがなくて、コーヒーばかり飲んでいた。頭がぼんやりする。寒い。冬が帰ってきた。悪いけど、歓迎できない。職場で、石油ストーブをつけた。石油ストーブの匂いは美味しそう。石油って飲んだらやばいと思うけど、どんな味なのかな。まずそう。サラダ油ですら単体の味はいただけない。


大阪で買った尾形亀之助「美しい街」(夏葉社)をとうとう読み終えてしまう。気づいた時に適当に開いて、あまり一度にたくさん読まないようにしてちびちび読んでいた。春休みが終わっちゃった時の感じがしている。寂しいような、新しい日々のはじまりに気分が高まるような。尾形亀之助の詩は青空文庫でしか読んだことがなくて、それでも充分かけがえなかったのだけれど、このタイミングで詩集が出てくれて良かった。高いところとか、遠いところばっかりキョロキョロ見ようとしてしまう私の目線を、ちょうどいいところにすとんと落としてくれる。ふつうのこと、ありふれた、あたりまえのいつものことを、美しさとしていつまでも捉えられるようで在りたい。


昨日の帰りに、新青梅の街路樹のハクモクレンがついにちょっと咲いてるのを見た。モクレンはいきなり咲くので、来年はちゃんと観察しておこうと去年の春に思って、少し前にちゃんとそれを思い出してツイッターに書いたら一緒に観察してくれるひとがいる。嬉しい。その方のおうちのお庭にはハクモクレンの木があるみたいで、うらやましい。でも、鳥が来て咲きつつある芽を食べちゃうらしい。鳥。やめろ。


猫よりも犬よりも、鳥と会話がしてみたい。でも話ができるようになったら、鳥のほうが(特にカラスなど)それを良いことに結構色々こちらに要望を言ってきそうなので、やっぱりやめたほうがいい。やっぱ猫だ。


肩が重い。きのう行ったところが霊の噂があるところなので、やられたかもしれない。

2017年3月14日火曜日

YUGE

ばち、と目が覚めて、あ、寝坊、とうっすら汗をかいたのに、時計を見たら真夜中だった。熱を帯びた羽毛ぶとんの中で、うすい汗がスゥ、と蒸気になっていくのを感じる。それが鬱陶しくて、足首をぐねぐね動かして、布団の外に出す。エアコンがつけっぱなしだったけど、つま先は従順に冷えていく。


三月ってまだ冬だな、と思う。

中学と高校のとき、部活の春合宿に着ていく春服を、zipperとか読みながらすごい考えていたことを思い出す。春合宿はいつも三月の半ばで、普通に寒いから、せっかく考えた春コーデの上に冬物のコートをすっぽり着るはめになる。それか我慢して寒い格好で行ってパーキングエリアで激萎えするか。どちらか。

今思えば、ぶっちゃけお洒落していられるのなんて行き帰りのバスのなかの数時間だけで、合宿先に着いた瞬間から最終日の練習が終わるまではずっと汗だくのユニフォームなんだから、そんなに頑張る必要はなかった。でもあの頃は毎日制服だったし、わたしがわたしだってことを、部活の人に、服で、表したかったんだと思う。思い出すと、アアアってなる。あまり頻繁には思い出したくない。


記憶が溢れるのを遮断するように、無の気持ちでエアコンの羽が動くのを見ていた。羽が、もったいぶりながらすこし閉じるとき、壁にその影が伸びる。電気もつけっぱなしだった。うんざりする。


エアコンを切るついでに、電気を消しにいくついでに、キッチンに行って水を飲もう、と思う。痛いくらい喉が乾いている。けど、そう思いついてからもしばらく身体がうごかなくて、iPhoneを見た。誰からも何もなかった。4時前だった。エアコンが、うるさい。


わたしの部屋のエアコンは古いので、なかなか暖まらないし、そのくせ結構うるさい。めちゃくちゃ気になるうるささではないけど、一度うるさいと気付いてしまうと、耐えられなくなって寒くても消してしまう。うるさい。わたしは思い切って飛び起きて、エアコンを消して、そのままキッチンへ向かう。水をのもうとしたらポットもつけっぱなしだったので、マグカップにお湯を注いで部屋に戻る。そして電気を消して、真っ暗な部屋で、布団の上に座って、お湯を飲んだ。部屋ははやくもひんやりしていて、静かだ。カーテンが半分開けっ放しだった。外はまだ暗いみたいだ。遠くに新聞配達のバイクの音がする。お湯は、すぐにぬるくなる。元々つめたい水をのみに行ったんだから、別にいいんだけど、熱かったものがどんどんつめたくなっていくのはさびしい。もう一度エアコンをつけた。その羽音にほっとする。


近頃は、あまりきちんと生活を送れていないな、と感じる。真夜中にいきなり目がさめること。エアコンも電気もポットもつけっぱなしで眠ってしまうこと。カーテンを半分閉め忘れること。三月だけど、ファッション雑誌を買ったり、春の服を考えたりもしていない。ここをあまり更新しなくなった。長い文章を書くのが怖い。あんなに毎日、生き甲斐のように長い日記を書いていた日々もあったのに。自分のなかのいろいろ、いろいろな情熱、いろいろな気力、とか、心そのもの、が、どんどんつめたくなっている気がしてさびしい。

これは、大人になったから、とかじゃなくて、多分自分の性質の問題だと思う。だって、大人になってもあたたかい人を、むしろ大人になればなるほど熱を帯びていく人を、わたしはたくさん知っているから。


すごく恐れていることがある。去年の夏くらいにはじめた、あたらしい趣味、趣味というか、久々に楽しくて、久々に自分でがんばってみようと思えるようになった救いみたいな活動のことも、いつか、こころが冷めて、ぜんぜん頑張れなくなったりするのかなあ、ということ。飽きっぽいのでこわい。今はまだ、嗜むくらいのことで、もっと頑張っていきたいなって思えてる程度の熱だけど、これが冷めたら、いよいよわたしは終わりな感じがしている。だからやらねばと思う。あたらしい友達や、仲間や、尊敬する人もできて、わたしはその人たちのことをずっと大切にしたい。





ええと、真っ暗にした部屋で、そういうことを考えて、わたしはかなりこわくなって、いまこれを書いている。書いたら、すこし紛れたので、やっぱり書くのはいいみたいだ。お湯は、もうお湯じゃない。冷たい。外も明るくなってきている。未だ半分開いているカーテンの向こうに、早朝のひんやりをうつした窓がみえる。部屋はどうせすぐにはあたたまりそうにないので、やはりエアコンは消し、もう一度布団に入った。布団の中、さっきのじぶんの体温が、まだ残っていてあたたかい。それが嬉しい。れっきとした朝がくるまで眠る。起きて、再び同じ憂鬱が繰り返されても、せめて今日一日はめげないと約束する。