2015年7月21日火曜日

さびしい男

ふとんに入ると途端に寂しくなるのはなぜだろう。ふとんの外では寂しさとは無縁、孤独を愛する男なのに、なぜだかふとんに入ったら、寂しさでぎゅっと縮こまってしまう。となりにだれか寝ていて欲しい、そのだれかを抱きしめたい、いやどちらかといえば抱きつきたい、そしてあなたも抱きしめてほしい。とかまあそういう気持ちで肋骨の内側の空間を掻き乱しながら、無理矢理目をつむって、寂しさをうめるための空想をめぐらせ、いつのまに眠りについたり余計に虚しくなったりする。そういう夜を四半世紀続けてきたんだよ俺は。

2015年7月19日日曜日

アドベンチャー




最近は天然素材っぽいのがすきでシェルや半貴石などの素材を買ってきて身につけている。探検先で手に入れた、みたいなアドベンチャー感を出していきたく、もうそのへんで石とか砂とかひろってきて加工しようかなと思い始めている。

石といえば幼い頃、香水瓶みたいな形のプラスチックの容器に付属の石ころと水を入れ、蓋をしてシャカシャカふると石ころがキラキラした宝石にかわる、っていう夢のようなおもちゃを持ってた。今、またあれが欲しいんだけど、まだ売ってるのかな。
しかし、いまこうして思い返してみても石ころが宝石にかわる、というのはどういうことなのか。石を入れると中にもともと入っていた宝石にすり替わる、とかそういう手品的なトリックのあるものではなかったし、正直魔法としか思えないような状況で気付いたら宝石になっているのだった。本当にどうなっているの、もはや本当にそんなおもちゃ持ってたんだっけ、とか思えてくる。クリスマスプレゼントで親に買ってもらったように記憶しているのだが、両親に聞いてもまったく覚えていないようで、そんなものあるわけないじゃん、とすら言う。あれは幻かしら。幻じゃないといいな。記憶の旅は冒険のよう。

2015年7月12日日曜日

舌打ち

くよくよしていても無駄だし、
くよくよするのをやめて走り出しても、調子がいいのは最初のほうだけで、また悪い種は飛散する。
それでまた、くよくよしても無駄、って思って走るんだけど、ふと振り返ればそこには走ってきた軌跡があるだけ。悪い種はどんどん芽吹いていき、いつまでも私を追いかけて、わたしはそれから逃れるために走る。悪い種はさらにふりそそぎ、わたしはくよくよし、悪い芽についた棘にさされ、ボロボロになり、くよくよしていても無駄だ、とまた走り出して……いつまでもそれを繰り返す。

くよくよしてもしなくても無駄だなっていう、最高にポジティブな話です。

2015年7月5日日曜日

きょう行きたかった博多うどんのお店は「本日分のダシがなくなった」ということではやめに閉店していて、それなら、と向かった定食屋は「麻雀大会出場のため店休」とのことだった。「店休」という言葉はあまり聞きなれなくてよくわからないがとりあえず休みなのだろう。
仕方なくコンビニに行くとおにぎりの棚がすっからかんだった。
ちょっとランチタイムを逃したくらいでこんな仕打ちにあうかしらと悪態をつきながらなにも食べませんでした。元気がでない。

2015年7月2日木曜日

ばった

おととい庭で出会ったショウリョウバッタをこころのなかに住まわせる。


きれいな緑で、ちりめんじゃこより小さいのに高く高くよく跳ねて、それがかわいくて、ほんとうは何かに入れて飼おうかとおもった。けど、それがどれほど無意味なことであるか、すぐに気付いてやめた。かわいさをただ監視するためだけに、逃げられないようにしてむりやり自分のそばに置いておきたいなんてことを、「飼いたい」なんてとぼけた言葉にして一瞬でも考えたことが、とてもかなしい。バッタ自身がどれだけ跳ねてもどこにも行けないって気付いてしまったら、かわいそうなことに、二度と飛び跳ねたくなくなってしまうかもしれないのに。バッタの跳ねたい高さを奪おうなんてことを、どうしてわたしは。


大人になるにつれて、どんどん冷たい人間になってしまった気がする。自分の持ち合わせているやさしさについて考えると、いつも、あたたかさをあきらめたようなものしか見当たらない。


でも、わたしがまだちいさい子供だったら、バッタ、捕まえていたとはおもう。そしてわたしは幸せなきもちで満たされ、そんなわたしをよそに、バッタは密かに意気消沈しただろう。


そう考えるといまのわたしのほうが、若干やさしい気がする。でも、そのやさしさは決して本当のやさしさではなく、一瞬のたくらみを確かに含んでいたわけで、決して純粋ではなく、ぱちもののやさしさのようにも思える。


そういうわけでバッタをつかまえなかったので、ただただバッタのすがたを思い浮かべて、うまいこと、こころのなかにバッタを住まわせたわけで。バッタはとびはねる。いっぴきにひきと増えてゆき、ちいさいバッタはそこそこ大きくなる。草かなにかを食べる。そしてとびはねる。微かな着地音、軽やかな軌道、あざやかなグリーン、美しく、静かな躍動。どこまでもどこまでも高くとびはねて、夏がおわるころ、どこにもいなくなってしまう。バッタも、きっと、やさしくなかろう。