2015年6月20日土曜日

キウイのこと

夏ばてが怖いので、風呂上がりにアイスをたべるのを我慢して、どうしてものときは、かわりにキウイをたべるようにしている。

冷蔵庫でよく冷やしたのを半分に切って、スプーンですくって食べると、作業感覚としてはアイスとだいたい同じである。たとえばカップのバニラアイスなどを食べるとき、あまりしっかり持つと体温でアイスが溶けてしまう上、手も冷たくなりすぎるため、誰もが多少力を加減してカップを持つことと思う。この力加減というのはキウイの柔らかい皮を破らないように持つときと同じくらいの感覚で、そのあたりがとても似ている。

そういえば時より、お洒落なライフスタイルを提案する雑誌やWEB媒体の記事などでキウイの皮をむきとり輪切り、もしくはその半分、にしてフォークでたべるような描写が見受けられるが、これには私は反対している。
キウイは、皮ごと真っ二つ→スプーンですくってたべる。というのが一番良い。
小学校の給食でもキウイはいつも真っ二つだった。ただ半分にしたキウイが銀色のおぼんにコトンとのってるのをワッシと掴み、大きいスプーンで皮のギリギリのところまですくって食べた。スプーンのなめらかな金属の苦味とあわさると、キウイはとても甘く尊く感じられる。キウイのよろこびとはまさにこれであると思う。なぜ、輪切りになどするのだろう??

とはいえ、もしもホテルの朝食などで白い大きなお皿に輪切り、もしくはその半分、にカットされたにキウイがずらりと並べてあるなどしたら、わたしはそれなりに喜んで端からフォークでとんとんと刺して大半を食べてしまえる気もする。

あまり意識したことがなかったのでいままでまったく気が付かなかったが、わたしはおそらく小学生の頃くらいからキウイのことを結構すきなのであろう。




2015年6月5日金曜日

足りない脳みそが発光する


人の買い物について行って、ほとんど初の秋葉原電気街。どこかアジアのよその国にある市のような商店街に、私には用途不明のゲジゲジ、ビリビリ、チミチミとしたものが、ちょこまかちょこまか並んでいた。
おそらく、それらは音のためのもの、光のためのもの、などであろうが、知識のない人間の想像力ではそれらとそれらの役割や効果を頭の中で結びつけることができない。
ただ、きっとすばらしい技術をもって作られた、世の中に必要とされる特別なものたちなんだろうね、と他人事のように考える。

ひとつひとつの店をじっくり見るのは少し気が引けたので、早足で商店街を何周もしてチラチラチラチラいろんな店を見た。何気にみたことのあるものや、見たことはないけど形のおもしろいもの、わけがわからなさすぎて逆に魅力的なものが数多く売っている。

私は、その中から『ヒューズカン』と呼ばれる、小さくて細いガラスの筒の中に細い線が厳重に封じ込められているものや、『抵抗』と呼ばれるものの小さくて細くて90円くらいで何をされても決して抵抗など出来なさそうななにか、それから名称はわからないけどどうにかすれば光りそうなもの、何らかのスイッチ、などを勢いに任せて購入した。

うちに帰って、購入した部品たちを机の上に並べてから、夕飯をたべてお風呂に入って戻ってきて、机の上に部品が並んでいることにすこしびっくりする。得体、知れなさすぎて、一通りネットで調べたが、説明もわからなくて。でも、なぜかこの状況というのは、ものすごく特別であるように思える。窓の外は雨で、机には、精巧で無口な用途不明のゲジゲジ、可能性に満ちた、人間の技術の賜物!私は嬉しい気持ちになる。これを枕元にならべてねむるとして、なんかサイバーパンクな夢みるかな、とか。私の脳みそには理系の思想は一切なく、強いて言うなら文系で、文系ってすごく情けない。

ちなみに、わけのわからないなりにいちばん気に入ってるのは『ヒューズカン』というやつで、以前理系の大学にかよっている作家さんがこれと同じのをピアスか何かにしているのをみたことがあった。これいいなあ、薬品か、試験用のネズミかなにかを入れるもののミニチュア的なものかな、と勘違いしていて、まさか電子部品だとは思ってなかったので、こんなところで出会えてなかなか感動した。

せっかく買ったので私も、どうせなら身につけられるものに加工して使おうと思うが、わからないまま使っていて、急に発光したりしないものか、不安。これ、理系の人や詳しい人が見たらさぞかし笑うだろうけど、不安。ばかにされてかまわないので、わかるように教えていただきたいけど、わたしは頭が弱いので、たぶんわからないと思う。女子高生とかが「おじさんカワイイ〜」というのと同じような心理で、私はヒューズ管を身につけよう。発光、しないでくれ。発熱や新しい物質の生成も、たのむからしないでくれ。お願いします。